2021年1月24日  「主が共に進み、敵と戦って勝利を賜る」
          申命記 20章1〜4節
1.正しい神は悪を容認できないからそのために行動される

@神は悪の極みに達した民を滅ぼされた
 ・ノアの洪水の時は、神が直接人々を滅ぼされた →水で滅ぼされた
 ・出エジプトの時も、神が直接エジプト軍を滅ぼされた →海の水で滅ぼされた
 ・カナンの人々の場合は、イスラエルの人々によって滅ぼそうとされた

A十戒の「殺してはならない」と矛盾しないのか?
 当時の戦いは、文字通り殺し合いの戦い。確かに殺している。
 悪しき民を、神が滅ぼすために水ではなく人を用いられた。
 神が滅ぼそうとなさった民を、イスラエルの人々を用いて滅ぼされた。

 決して人間が自己中心的な思いで、
 「彼らは気にくわないから殺してしまえ」というような殺人ではなかった。
 当時限定の、悪の蔓延を止めるための神の計画だった。

 十戒の「殺してはならない」と矛盾しない。
 逆に、人を殺し続けることを良しとする人々を滅ぼさないことは
 さらに、それ以上の殺戮が進んでしまうことになってしまう状況だった。

Bキリストは今は、悪に陥っている人を救おうとされている
 現在は悪に陥っている人々に、戦いを仕掛けて殺すようなことはしない。
 逆に彼らが悪から離れて、滅びないように救い出すようにする。
 そのために、罪を赦す救い主イエス・キリストを伝えてその人々を生かす。

 今の私たちは人を滅ぼす戦いでなく、滅びに進んでいる人を救い出すための
 人を生かす戦いを戦っている。 

 神はそのように、昔も今も悪を容認なさらず、
 人が悪から離れて正しく生きることができるように、行動されている。
 昔は悪を行い続ける人を、洪水などで滅ぼされた。

 今はキリストを信じて悔い改め救われるよう、働いておられる。
 (それでもキリストを受け入れなければ、最終的に永遠に滅ぼされる)

2.悪に陥っている人々を救い出すための戦い

@私たちは信仰の戦いを戦っている
 パウロはテモテに、信仰の戦いを戦い抜くよう命じている。
 信仰の戦いを立派に戦い抜きなさい(1テモ6:12)
 私たちの戦いは、自分自身の信仰を、最後まで守り通す戦い。
 人と戦うのではなく、むしろ自分自身の罪や誘惑や不信仰との戦い。

 パウロはその戦いを立派に戦い抜いたと証ししている。
 私は戦いを戦い抜き信仰を守り抜いた(2テモ4:7)
 パウロは自分自身の信仰を守り抜くことを、信仰の戦いと表現している。

A私たちの信仰の戦いは、人々に救い主を伝え人々を生かすための戦い
 単に自分の信仰のためだけでなく、隣人の救いのための戦いでもある。
 神を信じ神を愛するなら、当然隣人も愛することになる。
 隣人が滅びに向かっているなら、滅びないように行動する。

 隣人を愛し、隣人が救われて、隣人が永遠の命を得るための戦いを戦う。
 悪に陥った隣人を滅ぼすためでなく、隣人が救い主イエスを信じて
 永遠に生きるようになるための戦いを、戦っている。

 伝道者パウロも、まさにその戦いを戦い続けた。
 あらゆる困難を乗り越えて、鞭で打たれようと投獄されようと
 石で打たれようと、負けなかった。勝利して乗り越えていった。

B旧約時代の人間同士の戦いと共通点がある
 信仰の戦いは、殺し合いの旧約時代の戦いとはまったく関係ないのでは?
 共通点がある。「主が共にいて下さり勝利を与えて下さる戦いである」という点。
 だから、「心ひるむな、恐れるな!」というのは、今の戦いとも共通している
 「あわてたり、うろたえたりしてははならない!」という点も今と同じ。

 そこに旧約時代の戦いを学ぶ意義がある。
 今の私たちの信仰の戦いに、大いに生かすことができる。
 パウロも投獄されてもあわてたり、うろたえたりしていない。逆に賛美している!

3.私たちは主が共に進まれ勝利を与えて下さる戦いを戦っている

@敵がどんなに強そうに見えても勝利する
 その戦いは主が共にいて戦って下さり、勝利を与えて下さった
 偵察した時の報告=敵の方が強い (申命1:28)
 実際はどうだったか?
 敵の方が強かったか?
 エリコの戦いでどちらが勝ったか?
 イスラエルが勝利した。主が共にいて下さったから。

 たとえ敵が吠えたけるライオンのように立ち向かってきたとしても
 大丈夫。神の方が強い。神が勝利を与えて下さる。
 例)ゴリアトとダビデの戦い

A自分たちがどんなに力がなく弱くても勝利する
 神が共にいて、戦って下さるのであれば、
 自分自身の弱さを、見る必要はない。
 祈れない、聖書が読めない、伝道もできない… 弱い自分がそこにいても
 それでも勝てる、自分の力で勝つのではないから

 共にいて下さる神を信じる信仰を持つことが大切
 弱い自分を見て弱さを認識して終わるのでなく、
 その自分と共に、目には見えないが力強い神がいて下さることを信仰の目で見る

B勝利は人間の力からではなく、主から来る
 勝利は人から来るのではない。
 信仰の戦いの勝利は、主なる神から来る。
 勝利が主なる神から来る事を、固く信じること。

 また、弱い私たちを共におられる主が強くして下さる。
 祈れない、聖書が読めない、伝道できない、……で終わることはない。
 そこに主は勝利を与えて下さる。できる私に変えて下さる。
 自分が弱くても、勝利を与えて下さる限りなく強い主なる神を見上げていこう

むすび.主が勝利を与えて下さると信じ抜こう
 私たちは毎日、瞬間瞬間信仰の戦いを戦っている
 神が勝利を与えて下さるのだから、信じていよう!
 信仰の戦いを、共に戦って下さり勝利を与えて下さる
 主なる神を信じる「信仰」をもって、勝利から勝利へと進んでいこう!