1.この世は信仰者に対して攻撃を仕掛けてくる1.1 この世は悪魔(サタン)の支配下にあるこの世界は、多くの国々によって構成されている。 各国の元首がいて、それぞれの国を治めているように見える。 実際のところどうなのだろうか? 本当にそうなのだろうか? 最終的にこの世の中を牛耳っているのは、一体誰なのか? 人間が支配しているようにみえるが、聖書から言えば 「不従順な者たちの内に今も働く霊」が、この世界を支配している。 この世を支配し空中に勢力を持つ者 = すなわち悪魔の支配下にある。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、 不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。 エフェソの信徒への手紙 2章2節民主主義,主権在民と言いつつ、実際は悪魔の支配下にある。 霊的に、悪魔に牛耳られている。殺人、姦淫、盗み、偽り、..1.2 悪魔の支配下に誕生したイエスは当然攻撃されたイエス・キリストはそのような、悪魔の支配下にあるこの世に降誕された 降誕時点から、激しい攻撃にさらされていた。 出産は出先の家畜小屋、誕生時は不衛生な飼い葉おけ。 時の支配者ヘロデ王から命を狙われ、ベツレヘム近辺の2歳以下の男の子は虐殺された。 病をいやし、悪霊を追い出し、死人さえも生き返らせていたにもかかわらず 「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言われていた。 (マタ9:32-34)二人が出て行くと、悪霊に取りつかれて口の利けない人が、 イエスのところに連れられて来た。 悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、 群衆は驚嘆し、 「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。 しかし、ファリサイ派の人々は、 「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。 マタイによる福音書 9章32〜34節「悪霊の頭ベルゼブルの力だ」 (マタ12:22-24)と、悪霊扱いされてしまっている。そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、 イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、 ものが言え、目が見えるようになった。 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。 しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、 「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、 この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。 マタイによる福音書 12章22〜24節悪魔は人々に、イエスを悪霊の頭と誤認させた。 人々は誤認し続け、最終的に十字架で殺してしまった。1.3 イエスを信じる者も当然この世から攻撃を受ける家の主人がベルゼブルと言われるのならその家族の者は もっとひどく言われることだろう(マタ10:25)弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。 家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」 マタイによる福音書 10章24〜25節敵なる悪魔は、神側の人々を悪者にしようとしてくる。2.誰が悪魔の支配下にある世に打ち勝てるのか?2.1 神から生まれた人(1ヨハ5:1)は皆、世に打ち勝つイエスがメシアであると信じる人 = 神から生まれた者 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ(1ヨハ5:4) 世の支配者である悪魔に打ち勝つことができる2.2 世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの「信仰」イエスが神の子であると信じる者が勝利する 信仰こそが勝利をもたらす唯一のもの。他にない 私たちには自分自身の力は不要だが「信仰」が必須2.3 私たちには信仰という勝利の手段が与えられている信仰なしに勝利できない→不信仰の中で苦しんでる 私たちに勝利をもたらす「信仰」を持てば勝てる! イエスを信じて神の力を受け取れば勝利しかない3.イエスを信じて世に打ち勝つとどうなるか?3.1 イエスのように悪魔の誘惑を退けることができるイエスは荒野で悪魔から3種類の誘惑を受けたが ことごとく聖書の言葉によって勝利した(マタ4:1-11) そのように信仰者も悪魔の誘惑を退けることが可能3.2 イエスのように悪霊を追い出すことができる信仰者は主の名によって悪霊を追い出す(マル16:17)3.3 世の支配から解放されて真に自由に生きられる欲望に支配されない、罪にも支配されない生き方 神の御心通りに神と隣人を愛して生きられるむすび.世に打ち勝つ勝利それはイエスを信じる信仰信仰によって世の攻撃に勝利し御心に生きていこう!