1.世界は闇だった 「神が見えない、わからない」 当時の世界は神を神としないローマ帝国の支配下 神を知らないローマに支配されていたユダヤ地域 Q.どのような暗闇が覆っていたのだろうか? @闇1 残虐な王ヘロデが統治 幼子たちを虐殺して自分の地位を守ろうとした 人を殺して自分を生かす、そんな支配者が統治 支配者である王が罪の中にどっぷりとつかってしまっている 王の怒りに触れたら、いつ自分も殺されるかわからない恐怖の闇 A闇2 律法学者やファリサイ派の大きな間違い 本来聖書を教えるべき人々が、大きな間違いをしていた 「自分は正しい人間だ」という誤解、実は立派な罪人 イエスから、白く塗られた墓とまで言われる罪の隠蔽 盲人を手引きする盲人、自分よりも倍もひどい人にしてしまう 神の義の真のレベルの高さが、わからずにいた 自分の努力や行いで、義が得られるものとばかり思い込んでいた 聖書から、人々に対して神の光を照らさなければ ならなかったはずの、律法学者たちが 返って逆に、人々を闇に引きずり込んでしまっていた B闇3 悪霊に憑かれた人々の異常な行動 無数の悪霊レギオンを宿していた人は、墓場に住み叫び、自傷行為をし続けていた 彼だけでなく、彼以外にも多くの人々が悪霊に憑かれていた 自分の意思ではなく、悪霊にコントロールされながら生きるという闇 罪に悪魔が飛びついてくる。そういう悪霊に人々はやられていた。 人の罪の闇と、それに付け込んで滅びと破壊と略奪と混乱をもたらす 悪魔や悪霊の闇 ※神が見えない異邦人の世界である「ローマ帝国」の支配下で、 ヘロデ王も闇、律法学者達も闇、悪霊に憑かれている人々の更なる闇という 光の要素が少しもない闇の世界で、人々は苦しみ呻いていた 2.光として来られたキリスト 「神が見えた、わかった」 そんな闇の中にイエス・キリストは、来られた 暗闇の中に、イエス・キリストは誕生された イエスは「私は世の光である」と言われたお方 羊飼いたちが知らせを受けたのは、夜の闇の中 羊飼いたちは闇の中で光りに照らされて、キリストの誕生の知らせを聞いた まさにキリストが光として来られた事を象徴しているかの様 @光1 キリストは「神の力」を示された 悪霊に憑かれていた多くの人々から悪霊を追い出し 盲人や耳の聞こえない人など病人を完全に癒された 悪霊にも病にも打ち勝つ「神の力」を示された A光2 キリストは「神の義」を示された 律法学者たちの罪を指摘した 神の義は人間の努力では到底到達できない程完璧 「神の義」のレベルには、到底人は及ばないことを示された すべての人は、どんな人でも罪人であることを示された B光3 キリストは「神の愛」を示された 自分が死んで人を生かす愛=十字架で示された 自分を殺す人をも赦す愛=「父よ彼らを赦してください」 自分を弟子たちよりも低くする愛=洗足で示された 私たちを救うための救いの道を、明らかに示された イエス・キリストの十字架の血潮によって 罪が赦されることを、明らかに示して下さった 3.光としてキリストが来るという最高の約束は成就した キリストが光として来られることは、極めて重要なことだった 全人類の、救い(永遠の命)に関わることだった 重要なことゆえ、あらかじめ古くから神は預言者たちを通して それを示しておられた @イザヤによって預言されていたことは成就した イザヤの預言通り、ガリラヤでイエス・キリストの宣教が始まった 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。 驚くべき指導者,力ある神,永遠の父,平和の君」 (9:5) まさにイエス・キリストこそ、その人だった。 Aエレミヤの預言も成就した ヘロデ王の暴挙も預言されていた こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。 「ラマで声が聞こえた。 激しく嘆き悲しむ声だ。 ラケルは子供たちのことで泣き、 慰めてもらおうともしない、 子供たちがもういないから。」(マタ2:17-18) 「主はこう言われる。 ラマで声が聞こえる 苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。 ラケルが息子たちのゆえに泣いている。 彼女は慰めを拒む 息子たちはもういないのだから。」(エレ31:15) キリストの降誕時の闇の深さが、既にエレミヤによって預言されていた Bその他多くの預言の数々が聖書に記されている ミカはベツレヘムで生まれると預言 (ミカ5:1) 詩篇にも十字架と復活の預言 (22:1-22) むすび.最高に素晴らしい約束が成就した 罪を赦し永遠の命を与えるキリスト到来の約束は、見事に成就した 私たちのすべきことは、神が周到に用意して下さり送って下さった 光であるイエス・キリストを、信じ受け入れること。 キリストの光に照らされて、明らかに示された自分自身の罪を認めて、 神のゆるしを受け取ること。そして永遠の命を受けること! これこそが、今私たちがどうしてもしなければならない事なのである。 「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」(ヨハ12:36) 光のあるうちに光であるイエス・キリストを信じ、光の子として生きていこう!