2020年12月13日  「互いにゆるし合う」〜愛は互いにゆるし合う〜
          エフェソの信徒への手紙 4章32節
1.人をゆるさないことは悲惨な結末をもたらす

@アブサロムはアムノンをゆるさず最後に命を失った
 アムノンはアブサロムの妹を辱めたあげく、激しく憎んだ(サ下13:4-)
 アブサロムはアムノンを憎悪し無視し、最終的に彼を殺した
 アブサロムは父ダビデにも反逆し、ダビデの命を狙ったが
 遂に殺されてしまった(29)

 ゆるさなかったアブサロムは、アムノンを殺し自分も殺されてしまった

Aダビデはアブサロムをゆるせず彼を失うことになった
 ダビデはアブサロムを連れ戻したが「顔を見せるな」と言った
 ダビデの心の中では、彼を完全に赦していなかった。
 顔を見せるな=姿を表わすな=存在の否定=殺しているのと同じ

 赦されていないことを感じたアブサロムは、苦しんだ
 苦しんだ挙句、ダビデに対する殺意が沸き上がる
 父ダビデを殺して自分が王になろうと謀った。

 ダビデは、アブサロムに王宮を追われ殺されそうになる
 しかしアブサロムはヨアブによって殺され、ダビデは助かった
 ゆるせなかったダビデは、アブサロムを失い、大いに嘆き悲しむことになってしまった

 不完全なゆるしや、完全に赦さないことも、悲惨な結末につながる

B神は姦淫と殺人の罪を犯したダビデを赦された
 一連の出来事はダビデの罪に対する神の罰だった (サム下12:11)

 しかしダビデは赦されている (12:7-14)
 姦淫を犯したアムノンや、殺人を犯したアブサロムよりひどい罪を赦された
 ダビデはその両方の罪を犯していたのに、ゆるされている

 神は私たちに、赦さないことの悲惨さを教えるとともに
 ご自身の深い憐みによる、限りないゆるしを教えておられる
 赦さない人間の悲惨さと、限りなく赦される神の愛の深さの対比が見られる

2.神は私たちをどのように赦して下さったか?

@ひとり子を殺されたのに赦して下さった(ヨハ3:16)
 わが子を殺した犯人をゆるせる親がいるだろうか?
 神のひとり子は人間によって無残に殺されてしまった
 イエスを殺した私たちひとりひとりを赦して下さった

A「無条件に」赦して下さった
 償いの一つも求められていない。償ったからでない
 罪人のままで、そのままで赦して下さった(ロマ5:8)
 私たちの行いによらず赦されている (エフ2:9)

B「完全に」赦して下さった
 過去の様々なすべての罪を全部赦して下さった
 姦淫と殺人と偽りの罪を犯したダビデを赦されたように
 赦されていない罪はひとつもない「超越」(イザ55:7)

3.私たちは神が私を赦されたように隣人を赦す

@自分の子どもを殺すような人をも赦す
 自分をひどい目にあわせた人を、ゆるす。
 → 自分のひとり子を殺した人をさえゆるす

 ヨセフは自分を外国に売った兄たちを赦した (創45:5)
 →青春時代を台無しにされたにもかかわらずゆるした

 ステファノは自分を殺そうとしている人々をゆるした
 持ち物を奪われるレベルでなく、命を奪おうとしていた人をゆるした
 けがをさせられるレベルでなく、自分を殺そうとしていた人をゆるした
 暴言や悪口と言うレベルでなく、殺せるほどの石を投げつける人をゆるした

 どんなにひどいことをされようとも、その人をゆるす
 アブサロムのような立場になったとしても、妹を暴行したアムノンのような人をゆるす
 ダビデのような立場になったとしても、自分の子を殺したアブサロムのような人をゆるす

A無条件に赦す:謝ってくれたから赦すのではない
 謝罪したからゆるすとか、償いをしたからゆるす等の、条件を付けずに赦す
 ヨセフは兄たちに何も要求せずに赦している
 償いどころか、謝罪すら要求していない。兄たちが謝る前にゆるしている

B完全に赦す:何もされてないかのように最善をなす
 過去自分にされた、ひどいことのすべてを一つも残らず赦す
 ヨセフは兄たちにされた、過去のすべての悪行をゆるしている
 あたかも、何もされていなかったかのように赦している

 それどころか、兄たちがしたことが最善だったかのように認識している
 そして兄たちに最善をなしている (創50:15-21)

むすび.ゆるしていない人がいないだろうか?
 私たちは隣人を、「赦しても赦さなくても良い」のではなく
 「絶対に赦さなければならない」のである。
 赦していない人が、ひとりもいてはならない。

 無視したり顔も見たくない人が、決していてはならない
 そういう人が、もしかしたらいるのではないだろうか?
 心の中を探ってみよう。

 ゆるさないことは、聖霊を悲しませることになる。
 聖霊が悲しまれるような心であると、聖霊の働きがとどめられてしまう。
 聖霊が働けなくなってしまう。神の御心をみわざを、行なえなくなってしまう。

 そればかりか、アブサロムやダビデのような悲惨さを味わうことにもなりかねない。
 隣人をゆるさなかった、アブサロムやダビデの最後の悲惨さを思い出そう。
 神がキリストにあってゆるしてくださったように、完全に無条件でゆるそう!

 クリスマスこそ、完全な無条件の赦しの到来なのである!!
 完全な限りない赦しを与える、救い主イエス・キリストの到来なのである!!
 そして私たちもキリストのように、隣人をゆるすべきなのである!