1.イエスに従おうとするならその子供を受け入れるべき @イエスの元に来た子供は受け入れるべき子供 イエスの元に子供が来るのを妨げない(マル10:14) イエスの元に来た子=受け入れるべき(ルカ9:46-48) Aその子を受け入れるのはイエスを受け入れること(48) その子を受け入れる=イエスを受け入れる=神を受け入れる その子を受け入れない=イエスを拒む=神を拒む=罪・不信仰 B最も小さい者のひとりにしたのはイエスにしたこと 最も小さい者の一人にした=イエスにした(マタ25:40) 最も小さい者にしなかった事=イエスにしなかった事 最も小さい者を拒否=イエスを拒否→永遠の罰 (46) イエスに従う=イエスの御心を行う=隣人を自分自身のように愛する 隣人を愛さないことは罪→隣人を受け入れないことは罪 子供もれっきとしたひとりの隣人 子供を愛さないことは罪→子供を受け入れないことは罪 2.礼拝から子供を追い出さず一緒に礼拝する @教会は神の家族だから当然子供も一緒の家族 家族は新生児も乳幼児ももちろん小学生も一緒 礼拝は家族が一緒にそろって神をあがめるとき 成人だけの礼拝ではなく全世代の礼拝 教会の礼拝は「大人たちだけの礼拝」にあらず 教会の礼拝は神の家族全員の礼拝 家族は共に集う。子供だけ「あっちにいってなさい」ではない A子供を決して邪魔者扱いしないで一緒に礼拝する 赤ちゃんは礼拝中に泣く→弟子たちは、だから叱った うるさい→他の人が話を聞けない→迷惑→連れて来るな! イエスはその弟子達に対して憤られた: 憤る「アガナクテオウ」=怒り,立腹,憤慨 泣いてもいい!赤ちゃんや母親も大事な礼拝者 B子供の騒々しさを我慢する愛の忍耐こそ必要不可欠 愛は忍耐と学んできた。愛は口先ではなく実行すること 騒々しい子供たちが礼拝を妨害しているのではなく 私達の不寛容が礼拝を妨害している→忍耐の訓練 3.子供たちは次代を担う大切な教会の一員 @初代教会は家々に集まって礼拝していた パウロは迫害者だった時家々に押し入っていた 家々にということは、そこが教会だったから=会堂なし 当然小さい子供たちもいたはず。追い出さなかった Aなぜ初代教会で信仰が続いて行ったのか? 世代によって信仰が途切れていなかったから 子供たちも大人たちの信仰を間近に見ていた 信仰が次世代に継承されていった→信仰の継承 B子供たちには将来がある 今の乳幼児は20年後力ある青年になっている 次代を担うのは今の子供たち→信仰継承が必要不可欠 将来立派な信仰者に育つか否かは、小さな子供の時にかかっている むすび.イエスを愛するなら小さな子供を受け入れる 子供が来るのを叱った弟子たちをイエスは憤られた 隣人を愛して受け入れるが、子供をこそ愛して受け入れよう!