2020年10月11日  「愛を追い求めなさい」
          コリントの信徒への手紙一 14章1節
1.愛は追い求めるもの=じっとしてても身に付かない

 追い求める「ディオウコウ」
 a)(あとを)追う,追いかける,追い払う.
 b)(敵意をもって)追求する,責める,迫害する.
 c)(熱心に)追い求める(目標を目指して)駆ける,急ぎ走る

 単に求めるのではない。追いかける。熱心に追い求める。
 パウロがダマスコまで迫害をしに出掛けて行ったように
 追いかけて求めて手に入れて自分のものにする。

@愛は黙っていれば自然と身につくものではない
 例)「愛は忍耐強い:怒りを極限まで耐える」
 生れつきそれができる人や、
 何もせずに自然とそうなったという人は、両方ともいない
 愛は「追い求めるもの」であって能動的に求めるもの

 元々誰もができない。ステファノでさえ、元々はできなかったはず。
 ステファノも愛を追い求めて、それを身に付けたはず

Aまず愛する決断をする→愛せよという神の命令に従う
 愛を追い求めるには、まず愛とは何かを知らなければならない
 コリントの信徒への手紙1の13章からそれをすでに学んだ
 愛は忍耐強く、愛は情け深く、ねたまず、自慢せず、高ぶらず...

 愛が何かを知ったなら、次にすることは「愛します」という「決断」
 「あなたは私を愛するか」と、ペトロは決断を迫られている
 「愛しなさい」ではなく「愛するか?」→それは決断を問うている言葉

 愛は決断から始まる。「愛します」という決断から
 愛の実行は、愛そうという決断から始まる
 「わたしは隣人を愛します」ここから始まる

B次に愛する「決断」を「実行」に移す:愛というのは口先だけでない
 行いのない信仰が虚しいように愛も同じ(ヤコ2:15-16)
 実行の伴わない愛というのは、存在しない
 「充分食べなさい」というだけで、何も与えないのは愛ではない

 「愛します」という決断だけでは虚しい→実行に移して初めて愛になる
 言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。(1ヨハ3:18)

2.愛の欠けているところを神は気付かせてくださる

@愛を実行に移すとどうなるか?

 神は私に気づかせる
 私が隣人を真に愛せていない事に気付く 
 自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをする(ロマ7:15)

 忍耐できず,薄情,ねたみ,自慢,高慢,失礼,自分の利益を求める自己中心…
 愛そうとするからこそ気が付く→うまくいかない!
 もし愛を実行に移していなければ、気づきもしない。自分にないことに気付かない。
 実行するからこそ、気付く。だめだ、限界だ!

Aできない点に気付くからこそそれを神に祈り求める
 祈り求めるなら神は与えて下さる→だから祈る
 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。(マタ7:7)
 この約束がある。愛することは神の御心だから、必ず与えて下さる。

 もし祈り求めなければ現状維持のまま。愛のないまま進まない。
 天の報いがない、いやタラントをなぜ用いなかったのか!ということになってしまう。
 『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、
  わたしにしてくれなかったことなのである。』(マタ25:45)

 私は祈り求めなくても大丈夫です!などと言える人はひとりもいない。
 大丈夫でないことに、気付いていないだけ。
 実際に愛そうとしていないから、気付かない。

B祈りの中で聖霊が神の愛を思い起こさせてくださる
 自分に愛が不足していることに気付いたら、祈る
 祈りの中で何が、起きるか?

 キリストの十字架の痛みと忍耐を思い出させて下さる
 隣人のための痛みに耐えていくことができる力が、付与される
 神がその人を愛しておられ忍耐しておられるという認識も起こる
 →神がその人を愛し忍耐しているのだから、私も愛して耐え忍ぼう!

3.私は何を今一番に求めているか?それは愛か?

@この世は「神と愛」以外のものを追い求める自己中心
 多くの人々は愛ではなく、お金を追い求めている。
 金持ち=幸福!という間違った公式が頭にある。
 確かにお金がないと、衣食住に困窮する。しかし持てば持つほどもっと欲しくなる。
 富の追求にはきりがない。1億もっても満足しない。もっと欲しくなる。

 ある人々は力を求める
 強くなりたい、人よりも自分の強さが勝っていて欲しい
 身体的強さだけでなく、支配力、権力、指導力、影響力、
 学力、知力、なども追及する。その目的は、自分自身のため。

 ある人々は知識を追い求めている。
 それも自分のために。

A今私が求めていることは最後に愛に行き着くか?
 自分のためか?それとも隣人のためか?目的は何か
 信仰と希望と愛以外は、永遠に残らずに虚しく終わる

B神が私たちに求めて欲しいと願っているのは「愛」
 神の国は愛によって成立している。愛なしでは、神の国は崩壊してしまう
 聖霊は、私たちを互いに愛し合うことができるようにしてくれる
 いきなり完璧な愛にはなり得ない → だから愛を求め続ける

むすび.愛は追い求めなければ身に付かない
 愛を行い限界に気づく時「でもなお愛します」と祈る
 神は一つづつ限界を超えさせて下さる。愛を求めよう

 実行した愛が、あとで主に評価されることを忘れないように。

 すると、彼らも答える。
 『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、
  裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、
  お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。
 『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、
  わたしにしてくれなかったことなのである。』(マタ25:44-45)

 実行すべき愛は、コリントの信徒への手紙1の13章によると、以下の通り。

 @忍耐強い 忍耐強く怒りをどこまでも伸ばす。
 A情け深い 情け深く親切 相手の真の必要を満たす行動をとる。
 Bねたまない 元来自分より相手を優れているとみなし、ねたみを捨て去る。
 C自慢しない 人を自分より優れた者とみなす。自慢は偽りに他ならない。自慢しなくても尊い存在。
 D高ぶらない 自分を大きく膨らまさないで、いつもへりくだる。
 E礼を失しない 礼儀正しくする。相手を敬う、尊敬の目で見る。
 F自分の利益を求めない 自分よりも常に隣人の利益を求める。
 Gいらだたない 挑発されても決してそれに乗らない。いらだちは消し去る。
 H恨みを抱かない 恨みを捨て去る。何をされても一切恨まない。仕返さない。
 I不義を喜ばない 自己義認せず自分の不義を捨てて隣人の不義も戒める。
 J真実を喜ぶ 嘘を言わず約束したことは守り実行する。
 Kすべてを忍ぶ 相手の代わりに屋根のように覆いになって犠牲になって忍ぶ。
 Lすべてを信じる 悪しき過去を見てもなお信頼する。
 Mすべてを望む 望み得ないような場合にも、必ず良くなると望みを置く。
 Nすべてに耐える 無理解、理不尽、誤解、批判、冤罪のすべてに耐える。

 愛を実行に移すというのは、とても力がいること。
 決して生易しいものではない。
 究極の愛は、十字架で死ぬほどの愛。

 自分自身がそのような愛の人になり得るよう、
 愛を追い求めよう!
 生涯、愛を求める人生を送っていこう!