1.イエスは弟子たちのすべてに耐えられた 「耐える」という言葉は「踏みとどまる、留まる、もちこたえる」という意味合いの言葉 弟子たちは愚かな行動を繰り返してしまったが イエスは弟子たちの愚かな行動に、最後まで耐えられた @一番偉いかの議論の繰り返し ルカ 9:46 「誰が一番偉いのか」という議論 →イエスは「最も小さい者こそ、最も偉い者」と諭された ルカ22:24 再び「誰が一番偉いのか」と言う議論 前回諭されていたにも関わらず繰り返しの同じ議論 →しかしこの時も次のように諭しておられる 「いちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、 上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」 A自分の弱さへの「自己認識の甘さ」から来る「口先だけの献身」 ルカ22:54-60 ペトロは3度も「イエスを知らない」と告白 →「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と語り 自分の弱さが見えていなかったペトロ、そんな自分を裏切ったペトロを 忍耐して愛し、最後まで決して見捨てられなかった B復活を信じられない不信仰を耐えられた ルカ24:25 クレオパたちの復活の無理解 ルカ24:37-38 弟子たちの恐れ ◎次の言葉にイエスの忍耐が凝縮されている マタイ17:17 不信仰 「いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」 こう語ってはいるが、しかしイエスは最後まで耐え抜かれ愛し通された 弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。(ヨハ13:1) 2.イエスは迫害者たちの迫害に耐えられた @聖書理解に関する誤解から来る理不尽な批判 マタイ12:3麦の穂を摘んで食べた弟子たちを批判 「あなたの弟子たちは、安息日の規定を破っている!」 →聖書を読んだことがないのか!と説明 A聖書を理解せずイエスを試す言葉の連続 マタイ19:4夫と妻の離縁は良いか? →聖書を読んだことがないのか!と説明 Bイエスを神の子救い主と理解できない迫害者たちの批判 マタイ21:16子供たちが「ダビデの子にホサナ」と言っている! あなたをあたかも神のように賛美しているではないか! 神を冒涜している! →聖書を読んだことがないのか!と説明 C復活などないとサドカイ派は誤解して問いかけた マタイ22:31復活の時には誰の妻なのか? 聖書を正しく理解せず理不尽な批判や非難を受け続け 最後には「神を冒涜した不届き者だ!十字架につけよ!」 と冤罪にかけられ十字架刑で殺された しかし死ぬまでイエスは、すべての批判・非難・冤罪に耐え抜かれた 3.イエスは十字架の苦しみを最後まで耐えられた ヨハネ19:28-30 「成し遂げられた」息を引き取る 十字架の上で、どれほど肉体的に苦しかったことか 冤罪で何も罪を犯していないのに誤解されたまま誤解によって殺された さらに神に見捨てられるという精神的な苦痛 しかし弟子たちも迫害者も含む、すべての人々を愛して 最後の死に至るまで、耐え抜かれた ここにすべてを耐える愛が、鮮明に表されている 4.使徒たちも耐えている @ステファノもイエスのように耐えている 使徒 7:54-60 この罪を彼らに負わせないでください イエス・キリストを信じ聖霊に満たされたステファノは まるでイエスの十字架の死の時のように、語っている ステファノは迫害者たちを最後まで耐え抜いた 人間でもイエスと同じように、耐え抜く愛を持てる 聖霊によるならば、必ずできるということが示されている Aパウロも最後まで耐えている 2コリ11:23-29 パウロの受けた苦難の数々 これほどの苦難を受けていたのに、途中で投げ出さない 最後まで異邦人を愛し抜いて異邦人世界で伝道し続けた 2テモ4:6-8 世を去る時が近づいた 「私は戦い抜いた」要するに神と人を愛し抜いたと語っている パウロも最後まですべてを耐える愛で愛し抜いた Bヨハネ 1ヨハ4:7-12 互いに愛し合いましょう この手紙は晩年のヨハネが書いたと言われているが 人生の最後まで、愛し抜くことの重要性を教えられる むすび.すべてに耐えられたイエスにならおう 神は私たちにイエスのように隣人のすべてを耐える愛で 隣人を愛することを願っておられる。 隣人に対して怒るのではなく、隣人のすべてを耐えて愛し抜くこと 途中で投げ出すことなく、最後まで神に愛を頂いて 隣人のすべてを耐え抜いて、隣人を愛していこう!