2020年8月23日  「愛は恨みを抱かない」
          コリントの信徒への手紙一 13章5節
1.恨みを抱かない愛の模範はイエス・キリスト

@ガリラヤ湖畔で裏切者ペトロを赦しその後用いている
 「イエスを知らない」と言ったペトロを恨まず赦している
 (ルカ22:54-61)

 完全に赦して初代教会において大いに用いている

Aダマスコ途上で迫害者サウロに優しく語りかけている
 パウロは元々主の弟子たちを殺そうとしていた(使9:1)
 事実教会を荒らしまわり信徒を牢に送っていた(使8:3)
 しかし、パウロに現れたイエスには恨みの一言もない(使徒9:4-6)

B十字架と復活のイエスの姿は恨みの欠片もない
 十字架上で激しい苦しみの中で恨みの一言もない
 復活後にヘロデやピラトに対して復讐をしていない
 自分を十字架につけた人々を恨まず愛している

2.聖書の中における恨みを抱かなかった人々

@ヨセフは自分を売った兄たちを恨んでいなかった
 売られたヨセフは青春時代をエジプトの獄の中で生活
 ヨセフは十七歳のとき、兄たちと羊の群れを飼っていた (創世37:2)
 → 「あれを殺して、穴の一つに投げ込もう」(創世37:20)
 → ユダ「殺さないでイシュマエル人に売ろう。」(創世37:26-27)
 → ヨセフはエジプト人ポティファルに買い取られた(創世39:1)
   (ファラオの宮廷の役人で、侍従長)
 → ポティファルの妻に罪を着せられ、王の囚人をつなぐ監獄に。(創世39:20)
 → ヨセフは、エジプトの王ファラオの前に立ったとき三十歳であった。(創世41:46)

 兄たちと、ポティファルの妻のせいで
 17歳から30歳までの間の後半を監獄で過ごした
 しかし、ヨセフは兄たちを恨まず赦している(創世50:15-21)
 「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、
  神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、
  今日のようにしてくださったのです。」(創世50:20)

 ポティファルの妻に復讐したとも記されていない
 上記の言葉から見ても「神はそれを善に変えてくださった」
 という意識で間違いないだろう。

Aダビデは命を狙って追ってきたサウルを恨んでない
 ダビデは常にサウルから命を狙われていた

 ・ ペリシテ人と戦わせて勝ったらミカルを嫁に与えるという約束
  実はペリシテ人によってダビデを殺す策略 (サム上18:20-25)

 ・ダビデを壁に突き刺そうとねらわれた (サム上19:10-11) 
  ダビデは命を狙われ続けることになる

 ・ダビデにパンとゴリアトの剣を与えたノブの祭司アヒメレクを含む
  ノブの祭司八十五人は殺され町中の人々は男女問わず、
  子供も乳飲み子も、牛もろばも羊も剣にかけられた。(22:19)

 とにかく理不尽でひどいことをしたサウル王に対して、恨みの一つもない
 自分の命を狙うばかりか、ノブの祭司らを殺すなどひどすぎる!
 「サウル王め覚えておけ!」ではなかった。そうではなく逆に
 敵の手によって殺されてしまったサウルを悼んで
 サウルとその子ヨナタンを悼む歌を詠んだ (サム下1:17-27)

B救われる前のパウロに迫害されたエルサレム教会も
 ファリサイ派のサウロ(パウロ)によって、
 多くのイエスを信じる人々が、家から引き出され投獄された
 しかし、救われた後のパウロに対して恨みの一つもない

3.隣人を愛するにはすべての恨みを捨て去るべき

@誰にでも悪の被害者になる可能性は大いにある
 被害を被ったのは、ヨセフやダビデに限らない。
 聖書中にも多くの被害者が出て来る。
 エサウもヤコブの嘘によって祝福を奪われた被害者 (創世27:19〜)

A恨みは復讐に発展しひどい場合は殺しに至る
 A) エサウの場合 ヤコブを殺そうと思った
 エサウはヤコブに嵌められて、恨んで殺そうとした (創世27:41)

 B) ヘロディアの場合 洗礼者ヨハネを殺した
 洗礼者ヨハネは逆恨みによって殺された (マル6:19,24-28)

B恨んで復讐することを神は禁じておられる
 恨みは復讐につながり、最終的には殺人に至ってしまう。
 恨んで復讐することを神は禁じておられる。
 民の人々に恨みを抱いてはならない (レビ19:18)

 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。
 自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。(レビ19:18)

むすび.人の悪を数えず恨まない愛で生きていこう!

 神が正しく裁かれることを信じ切る→そして赦しきる

 恐喝などの被害を受けたその瞬間、そこに警官が一緒にいたら?
  → 警官が加害者を連行してくれるから、自分は何もしなくてよい。

 警官以上に正しく裁かれる神がいつも共におられる
  → 私は証言すらも、する必要がない。神がすべてをご存じだから。

 私たちへの命令=人の悪を思わない (ルカ6:27-29)
 あなたの敵を愛しなさい!

27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
   敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。
   上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。(ルカ6:27-29)

 神は恨みを抱かない愛で生きられるようにしてくれる
 何か恨みに思うことがあれば赦しなさい(マル11:25)

 「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、
  神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、
  今日のようにしてくださったのです。」(創世50:20)