1.いらだたない愛の模範はキリスト @キリストはののしられても、ののしり返さなかった ののしられてもののしり返さず(1ペト2:22-24) イエスの見張りをしていた者たちはののしったが イエスは罵り返していない (ルカ22:63-65) Aキリストは、様々な人々に挑発されていた A) イエスの見張り人 → 侮辱、殴る、言い当てろ! B) ガリラヤ領主ヘロデ → あざけり、侮辱 C) 祭司長らと長老たち → 不利な証言 D) 議会の議員たち → 「自分を救うがよい」 E) ローマの兵士たち → 「自分を救ってみろ」 F) 十字架上の犯罪人 → 「自分と我々を救ってみろ」 Bキリストは、挑発されても怒らず黙している 何もお答えにならなかった (マタ27:12-14) 2.弟子たちは、挑発に乗って怒ってしまった @反発されて、烈火のごとく怒っている サマリアの村人がイエスを歓迎しない (ルカ9:53) 「火を降らせて焼き滅ぼしましょうか」 (ルカ9:54) すなわち「殺してしまいましょうか」ということ=殺意 Aなぜ弟子たちはそこまで怒ったのか? もともとサマリア人に対する悪しき先入観があった そのサマリア人に自分の正しさが拒絶されてしまった イエスは素晴らしい方なのにどうして拒むんだ!! B自分の正しさが否定されたことに対する怒り 人は自分が正しいと思っていることを否定されると怒る ののしりや挑発は、まさに相手の正しさを否定する行為 3.どうすれば挑発に乗らないでいられるか? @キリストの十字架を思い出そう あれ程のののしりを受けても黙っておられた 紫の服を着せられ,茨の冠をかぶらされ,葦の棒で頭をたたかれ, 唾を吐かれた(マル15:17-19) それでも黙して耐えておられた A自分をののしり挑発してくる相手を愛をもって憐れむ 自分がどれ程の悪を行っているのか気づいていない ののしる時、それは相手を心の中で殺している=殺人の罪 B怒りを抑えられるように聖霊の助けを求めて祈る 自分の力だけでは、怒りは抑えることは不可能 即、聖霊の助けを求める。聖霊は助け主。 むすび.イエスのように挑発に乗らずいらだたず愛する どのような時でも隣人を愛する決断が求められている 挑発された時にこそ、隣人を愛そう!