2020年8月16日  「愛はいらだたない」
          コリントの信徒への手紙一 13章5節
1.いらだたない愛の模範はキリスト

@キリストはののしられても、ののしり返さなかった
 ののしられてもののしり返さず(1ペト2:22-24)
 イエスの見張りをしていた者たちはののしったが
 イエスは罵り返していない (ルカ22:63-65)

Aキリストは、様々な人々に挑発されていた
 A) イエスの見張り人 → 侮辱、殴る、言い当てろ!
 B) ガリラヤ領主ヘロデ → あざけり、侮辱
 C) 祭司長らと長老たち → 不利な証言 
 D) 議会の議員たち → 「自分を救うがよい」
 E) ローマの兵士たち → 「自分を救ってみろ」
 F) 十字架上の犯罪人 → 「自分と我々を救ってみろ」

Bキリストは、挑発されても怒らず黙している
 何もお答えにならなかった (マタ27:12-14)

2.弟子たちは、挑発に乗って怒ってしまった  

@反発されて、烈火のごとく怒っている
 サマリアの村人がイエスを歓迎しない (ルカ9:53) 
 「火を降らせて焼き滅ぼしましょうか」 (ルカ9:54)
 すなわち「殺してしまいましょうか」ということ=殺意

Aなぜ弟子たちはそこまで怒ったのか?
 もともとサマリア人に対する悪しき先入観があった
 そのサマリア人に自分の正しさが拒絶されてしまった
 イエスは素晴らしい方なのにどうして拒むんだ!!

B自分の正しさが否定されたことに対する怒り
 人は自分が正しいと思っていることを否定されると怒る
 ののしりや挑発は、まさに相手の正しさを否定する行為

3.どうすれば挑発に乗らないでいられるか?

@キリストの十字架を思い出そう
 あれ程のののしりを受けても黙っておられた
 紫の服を着せられ,茨の冠をかぶらされ,葦の棒で頭をたたかれ,
 唾を吐かれた(マル15:17-19) それでも黙して耐えておられた

A自分をののしり挑発してくる相手を愛をもって憐れむ
 自分がどれ程の悪を行っているのか気づいていない
 ののしる時、それは相手を心の中で殺している=殺人の罪

B怒りを抑えられるように聖霊の助けを求めて祈る
 自分の力だけでは、怒りは抑えることは不可能
 即、聖霊の助けを求める。聖霊は助け主。

むすび.イエスのように挑発に乗らずいらだたず愛する
 どのような時でも隣人を愛する決断が求められている
 挑発された時にこそ、隣人を愛そう!