2020年8月2日  「愛は礼儀を失しない」
          コリントの信徒への手紙一 13章5節
1.聖書の「礼を失する」という言葉について

@この言葉は日本語の「礼を失する」と同じでよいか?
 口語訳:「不作法」、新改訳:「礼儀に反する」
 日本語の「不作法」=「礼儀作法にはずれている」
 行儀が悪い,はしたない,分不相応,節度がない,下品

A聖書の原語は「アスケーモネオウ」という動詞
 「アスケーモウン」という形容詞の動詞形 「ア」=否定
 +「スケーマ」=英語のスキーマの語源=形,外観,
   有様,態度など、すべて外に現われた形をいう

B「外に現れた形の否定」が「礼儀を失する」という言葉
 本来あるべき姿ではない姿や態度や行動をとること
 =見苦しい行動をする,無作法,無礼,礼を失する
 和訳の「礼を失する」と同じ意味合いということになる

2.愛は礼儀に反することがない=愛は礼儀正しい

@「礼儀」とは何か?礼儀の本質とは一体何なのか?
 相手にとって自分が「アスケーモウン」状態でないこと
 単に外見の話ではなく、その態度がどうであるか?
 そこに相手に対する「敬意」が存在しているかどうか?

A礼儀を失するとは「敬意を払っていない」ということ
 敬意を払わない=見下し馬鹿にする,無視する,蔑む
 礼儀に反してしまう動機は何か?相手への敬意欠落
 「自分がよく見られたい」という見せかけの敬意も同じ

B礼儀とは相手に対する「敬意」が表現されたもの
 尊敬をもって相手を優れた者と思いなさい(ロマ12:10)
 尊敬が行動になって表現されると「礼儀」になる

3.罪を犯している人に対しても敬意を払うべきか?

@「愛」はすべての人に対して無条件に敬意を払う
 年齢,性別,学歴,職業,地位,資格,業績,才能に無関係
 誰に対しても無条件で敬意を払う。悪人も対象範囲

A悪人と組みしてはならない (箴言1:10) =離れ去る
 悪の誘いに乗って一緒に悪を行なってはならない
 罪に同調してはならないが、見下してはならない
 悪を行っている人も、本来的には敬意を払うべき人物

B昔極悪人であったとしても悔い改めたら赦されている
 一旦悪の道に入ったらもう敬意を払わなくても良い?
 そんなことはない。悔い改めたら神の子とされる
 神が子とされた人物を敬わなくて良いはずがない

むすび.すべての隣人に礼儀の動機である敬意を持つ