1.「情け深い」という言葉は「使う」から派生している @「情け深い」なのか「親切」なのか? クロウマイ 使う 私はペンを使う → クレーストス 使える 使えるペン=良いペン → クレーステュオマイ 他人に使われる 使える人! A「人に使われる」「役に立つ」行動をとるという意味 「やってほしい」と思っていることをしてくれた=親切 「これをやってもらって助かった!」=親切 B人のために自分が使われるという意味 イエスの生涯こそ、人のためにご自身を使い尽く された生涯だった 私のためにご自身を使って下さった、その愛で愛されている 2.「親切」は隣人の必要を知ることから始まる @イエスはザアカイの必要を知っていた 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。 今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(ルカ19:5) ザアカイは自分をひとりの人として認めてほしかった そして更なる必要は、魂の救い Aイエスはサマリアのシカルの女性の必要を知っていた 「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」(ヨ4:16) 5人の夫があったことへの「うしろめたさ」からの解放 そして更なる真の必要は「永遠の命」 Bイエスは裏切ったペトロの必要を知っていた 裏切ってしまったことへのゆるしを必要としていた 愛のまなざしで、じっと見つめられた 裁きのまなざしでなく、赦しのまなざしだったはず そして更なる必要は、魂の救い 3.たとえ自分の損になっても隣人を満たす行動をとる @イエスはザアカイの家に入ったことで非難された これを見た人たちは皆つぶやいた。 「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 (ルカ19:7) ご自分が非難されても関係なし Aイエスは嫌悪されていたサマリア人と話した 普通のユダヤ人からみたら非難の対象 なぜ神に従っていない人々と交わりをするのか! Bイエスは裏切ったペトロをゆるしている よくも裏切ったな!と普通なら思うところ 裏切られた悲しみも、失望感も捨てている むすび.隣人の必要を知り満たす行動をとろう イエスの示された愛の一面「親切」を行っていこう そのために愛を与える聖霊を求めて祈ってゆこう!