今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年  去年  トップへ  更新
2025/1/6(月)

 

キリストの教えを越えてはならない

 教会を教会でなくしてしまうもの、それは「キリストの教えを変えてしまう教え」です。
 「イエス・キリストが神なのに、人間の姿で世に来られた」ということを否定する教えは
 これはキリストの教えではありません。

 イエスは事実、神なのにもかかわらず人の姿で世に来られたからです。

 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
 人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
 フィリピの信徒への手紙 2章6〜8節

 全知全能の神であったのに、全知全能性を捨てて限界のある神の被造物の姿になられたのです。
 永遠に生きているはずの神であるにもかかわらず、その永遠性を捨てて死ぬべき体を持つ
 人間の姿になられたのです。事実その人間の姿で、十字架で死なれたのです。

 どこまでも低くなられたお方、それが神の子イエス・キリストなのです。
 ここに、真実な愛の姿を私たちは見るのです。
 人を愛して人を救うために、人と同じ姿にまで低くなられたイエスこそ真の愛の方なのです。

 この愛を、私たちは受け取ったのです。
 この教えに、私たちはどこまでもとどまっていなければなりません。
 キリストの愛を否定する教えを、受け入れてしまってはならないのです。

 【今日の聖書】
 だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、
 神に結ばれていません。
 その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。
 ヨハネの手紙二 1章9節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新