今日のできごと


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2024/2/8(木)

 

折よくタルシシュ行きの船が見つかった

1.神はヨナをニネベに送りたかったがヨナは逃げた

 神はヨナに対して、語られます。

 「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。
  彼らの悪はわたしの前に届いている。」
 ヨナ書 1章2節

 ニネベの悪が神の前に届いたので、彼らに呼びかけよというのです。
 しかし、ヨナは逃げます。
 ニネベではなく、タルシシュに向かうのです。

2.逃げるヨナは折よくタルシシュ行きの船を見つけた

 しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。
 ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、
 船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
 ヨナ書 1章3節

 ヨナがヤッファに下ると、ちょうどそこに折よく
 タルシシュ行きの船が、停泊していたのです。
 ヨナは船賃を払って乗り込み、主から逃れようとタルシシュに向かったのです。

 しかし、それは主の御心ではありませんでした。
 やがて嵐が起こり、ヨナは荒れ狂う海の中に放り込まれてしまうのです。
 そして巨大な魚に飲み込まれ、その腹の中で悔い改めるのです。

3.御心に背くのにちょうどいいものが折よくそこにあることもある

 ヨナがヤッファに下った時、ちょうどそこにタルシシュ行きの船がありました。
 神に背いている時に、渡りに船とばかりにタルシシュ行きの船があったのです。
 ちょうどそこに、うまい具合に意図するものがあったとしても

 「私が神に従っているから、神がそれを用意してくださっていたのだ」と
 必ずしも言うことはできない、ということがわかります。
 ヨナのように、神に背いていた時に「ちょうどそこに逃げるための船があった」

 ということもあるのです。
 御心に背く道を歩んでいる時に、ちょうどうまい具合に
 その道を進むのに適したものが見つかる、ということもあります。

むすび.折よく見つかっただけではそれが御心かどうかはわからない

 折よく自分の欲しいものが見つかったからと言って、
 必ずしもそれが、神の御心にかなっているかどうかはわかりません。
 「折よく見つかった」から、「きっとこれは神の導きだろう」と

 短絡的に考えてはならない、ということがわかります。
 ヨナが御心に反してタルシシュに向かおうとしていた時に
 ヨナは折よく、タルシシュ行きの船を見つけているのです。

 【今日の聖書】
 しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。
 ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、
 船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
 ヨナ書 1章3節


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