弱く見える部分がかえって必要
バスケなどのスポーツの試合で、スターティングメンバーに選ばれる選手は
うまい選手ばかりです。シュートの成功率が高いとか
ドリブルがうまいとか、ディフェンスがうまいとか、いろいろです。
シュートもなかなか入らず、ドリブルもぎこちなく
パスも下手で、足も遅くて、ジャンプ力もないという選手は
通常、試合に出ることはできません。
バスケに限らず、サッカーでも野球でもどんなスポーツでも
うまい人が試合に出て、そうでない人は試合には出られないのです。
そういう経験を経てきていると、どうしてもできない自分を卑下しがちになります。
「弱い人間は、使えない人間だ」という図式が
頭の中に、出来上がってしまうのです。
そうなってくると、弱さを認識した途端に否定的思いに捕らわれてしまうのです。
しかし、神の目から見たらどうでしょうか?
ほかよりも弱く見える人の方が、かえって必要だと
神は見ておられるのです。スポーツのスタメンとは違うのです。
弱さを認識した時、その時はチャンスです。
ほかよりも弱く見える人の方が、かえって必要だということを
自分自身に受け入れる、チャンスなのです。
弱い時こそ、信仰的意識を持つチャンスなのです。
【今日の聖書】
それどころか、
体の中でほかよりも弱く見える部分が、
かえって必要なのです。
コリントの信徒への手紙一 12章22節