エサウのような俗悪者にならない
1.疲れて帰ってきたエサウは、ヤコブの作っていた煮物を求めた
エサウが疲れきって野原から帰って来た時、
ヤコブは煮物をしていました。
空腹だったエサウは、ヤコブにその煮物を求めます。
エサウはヤコブに言った。
「お願いだ、その赤いもの(アドム)、
そこの赤いものを食べさせてほしい。
わたしは疲れきっているんだ。」
彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。
創世記 25章30節
2.エサウは長子の特権と引き換えに煮物を受け取った
疲れ切って腹をすかせた状態で、美味しそうな煮物の匂いがしたら
誰でも食べたくなるのは、当然でしょう。
ヤコブはそこで、その弱みを利用して取引をふっかけます。
ヤコブは言った。
「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」
創世記 25章31節
エサウはどうしたでしょうか?
「そんなもの譲れるか!」と、エサウはヤコブを一喝したのではなく
「長子の権利などどうでもよい」と言って、譲ることを誓ってしまうのです。
「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、
ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」
エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。
創世記 25章32〜33節
3.エサウは、長子の特権を自分に与えた神を軽んじていた
エサウは、長子の権利を軽んじました。
長子の権利というのは、アブラハムに与えられた神の祝福を自分が受け継ぐ権利でした。
ですからエサウは、「神が与えようとされていた祝福を軽んじた」ということになるのです。
せっかくあげたプレゼントを、ないがしろにするのは
プレゼントをあげた人を、ないがしろにしているのと同じです。
その人のために、やっとの思いで買ってきた世界で1つしかないプレゼントが
あげた次の日に、リサイクルショップに並べられていたらどう思うでしょうか?
「あげるんじゃなかった」と、思うのではないでしょうか?
「ああこの人は、私のことを軽んじているんだ」と思わないでしょうか?
プレゼントをくれた人が、自分の尊敬する人であった場合
そのプレゼントを、大切にして持ち続けるはずです。
プレゼントを大切にすることは、下さった人を大切に思っていることの表れなのです。
むすび.神を敬うなら神が与えて下さったものを大切にするはず
エサウは、長子の特権を与えて下さった神を軽んじていました。
だから、エサウは「俗悪な者」と言われているのです。
エサウの罪は、人に対してではなく神に対しての罪だったのです。
「神が私に与えて下さったものを、大切にすること」は、
「私が神を、大切にしていること」の表れです。
「神が与えて下さったものを軽んじること」は、「神を軽んじる」ことの表れです。
私たちは、神が与えて下さったものを大切にします。
そのことを通して、神を大切に思っていることを表していくのです。
エサウのように、神を軽んじる俗悪な者になろうとは思わないのです。
【今日の聖書】
また、だれであれ、
ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、
みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
ヘブライ人への手紙 12章16節