なぜ、わたしを見放されたのか
神に従って生きているにもかかわらず、理不尽な苦しみを受ける
ということが、旧約聖書の時代からありました。
あなたはわたしの神、わたしの砦。
なぜ、わたしを見放されたのか。
なぜ、わたしは敵に虐げられ
嘆きつつ行き来するのか。
詩編 43編2節
神に向かって、正しい裁きを願い求める祈りが詩編にも記されています。
神よ、あなたの裁きを望みます。
わたしに代わって争ってください。
あなたの慈しみを知らぬ民、欺く者
よこしまな者から救ってください。
詩編 43編1節
しかしこの祈りは、ただ神の救いを求める祈りで終わっていません。
「神の祭壇にわたしは近づき、わたしの神を喜び祝い
琴を奏でて感謝の歌をうたいます。」と神への賛美に続くのです。
そしてうなだれないで、神を待ち望むのだと告白します。
「御顔こそ、わたしの救い」と神に信仰の告白をささげています。
理不尽な苦しみを受けた時、神を賛美し神の救いを待ち望んでいるのです。
【今日の聖書】
神の祭壇にわたしは近づき
わたしの神を喜び祝い
琴を奏でて感謝の歌をうたいます。
神よ、わたしの神よ。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。
詩編 43編4〜5節