たとえモーセがダメだと思っても
モーセがファラオに、
「イスラエルの民をエジプトから去らせるように」と、語っても
ファラオは耳を貸さず、逆に民に課した重労働を更に過酷なものにしました。
「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。
わらは自分たちで集めさせよ。
しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。
彼らは怠け者なのだ。
だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。
この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう。」
出エジプト記 5章7〜9節
そのことゆえに、イスラエルの民はモーセに対して
反発し、非難の声をあげるのです。
彼らは、二人に抗議した。
「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。
あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。
我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」
出エジプト記 5章21節
モーセ自身も、ファラオには反対され民からも反発され
もうダメだと思っていましたが、神の命令はそれでもなお
「ファラオの前に行って語れ」だったのです。
人間には、もうダメだこれ以上できないと思われる状況であっても
神は「さらに続けて行いなさい」と言われることもあるのです。
人がダメだと思ったとしても、神にとっては関係ないのです。
これ以上できないと思っても、神がやり続けなさいと言われるのならば
続けていくのです。
そこに、素晴らしい主のみわざが起こされるのです。
【今日の聖書】
「エジプトの王ファラオのもとに行って、
イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」
出エジプト記 6章11節