神の国を受け継げない人々
洗礼を受けたからと言って、それで絶対に天国に入れるわけではありません。
イエス・キリストを信じますと、口では言いながらも
肉の業を行い続けているようであれば、天国に入れません。
肉の業それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、
そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、
その他このたぐいのものです。
このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
これらの罪の一つに陥ってしまった時は、すぐに悔い改める必要があります。
悪と知りつつそれをやめないようであれば、天国に入れなくなってしまいます。
十字架で罪がゆるされているのだから、少しぐらいやり続けていたって
ゆるされるんじゃないか、と思っていたら大間違いです。
それは口先だけの信仰であって、心が伴わない偽りの信仰なのです。
キリストを信じて洗礼を受けた人が、不倫をやめなければ滅びます。
なぜなら「神に従います」と言って洗礼を受けたのに、その後で
「神に従わない行動」をやり続けて、口の告白を否定しているからです。
「神に従わない行動」をやり続けているということは、
「私は神に従いません」と告白しているようなものなのです。
もはや「神に従います」という告白は撤回され、無効になっているのです。
十字架のゆるしを、なめてかかってはなりません。
神の裁きは正しく、絶対なのです。真心から神を信じて従い、
神を正しく恐れて、罪からきっぱりと手を切ることが必要なのです。
信仰には、厳しさが伴っています。
【今日の聖書】
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。
ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、
愛によって互いに仕えなさい。
律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という
一句によって全うされるからです。
だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、
互いに滅ぼされないように注意しなさい。
わたしが言いたいのは、こういうことです。
霊の導きに従って歩みなさい。
そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。
肉と霊とが対立し合っているので、
あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。
肉の業は明らかです。
それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、
そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、
その他このたぐいのものです。
以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、
このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
これに対して、霊の結ぶ実は
愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
これらを禁じる掟はありません。
キリスト・イエスのものとなった人たちは、
肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、
霊の導きに従ってまた前進しましょう。
うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。
ガラテヤの信徒への手紙 5章13〜26節