代役
 教会や学校や幼稚園などではこの時期、降誕劇が行われたりします。
 ヨセフとマリア、羊飼いたちと博士たち、宿屋で働く人たちや
 星や動物たち、そういう配役で練習がなされいざ本番を迎えます。
 ところが本番直前になって、病気などで突然出られなくなると
 急遽、配役を交代することになります。
 練習中にほかの人のセリフや動きも見ているので、少しの練習でできたりします。
 休んでしまった人にはかわいそうなのですが、劇自体は普通にできてしまうのです。
 その人でなくても、代役の人でちゃんとできてしまうところが寂しいところです。
 「なんだ、私なんかいなくても、ちゃんとできちゃうんだ」と寂しさを感じるわけです。
 確かに劇は、代役でできてしまいます。
 けれども実際の現実世界においては、あなたや私の代役はどこにもいません。
 本人以外、だれも代わりになれないのです。
 私達ひとりひとりは、神の目から見てたったひとりの
 貴重な、本当に貴重な宝物なのです。
 誰一人、決して失われてはならないのです。
 
【今日の聖書】
 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
 ヨハネによる福音書 3章16節