イエス・キリストがこの世に来られた目的
1.変えられたザアカイ
イエスの時代、エリコの町にザアカイという人がいました。
徴税人のトップで、金持ちでした。
そこにザアカイという人がいた。
この人は徴税人の頭で、
金持ちであった。
ルカによる福音書 19章2節
このザアカイがイエスに出会うことによって
心が変えられ、次のように語りだしました。
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
また、だれかから何かだまし取っていたら、
それを四倍にして返します。」
ルカによる福音書 19章8節
2.キリストの来られた目的
この言葉に答えて、イエスは語ります。
イエスは言われた。
「今日、救いがこの家を訪れた。
この人もアブラハムの子なのだから。
人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ルカによる福音書 19章9〜10節
イエス・キリストの来られた目的は、何であったかが
ここに、明確に示されています。
「失われたものを捜して救う」これこそがその目的でした。
すなわち、「神から離れて、罪の中で苦しんで生きている人」を
「罪から離れて、神と共に生きることができるようにすること」こそが
キリストの来られた目的だったのです。
3.十字架こそその目的を達成するべきものだった
罪から離れるためには、罪のゆるしが必要です。
そのためにイエス・キリストは、全人類の罪を背負って
十字架にかけられ、その罪の刑罰を身代わりに受けて下さいました。
それゆえ、イエス・キリストを信じるだけで、
罪のゆるしが頂けるようになり、天で永遠に生きられるように
され、神と共に生きることができるようになったのです。
むすび.自分自身の罪深さに気づくことから始まる
ザアカイのように、悪い人を良い人に変えるために
イエス・キリストは、この地上に来てくださり
十字架にかかって、死んでくださいました。
「そういうことなら、私には関係ないな」と思うなら
罪のゆるしは、自分のものになりません。
「私もザアカイと同じように罪人ですから、ゆるしてください」
という悔い改めが必要なのです。
ということは、自分自身の罪深さに気づくことが
前提条件だ、ということになります。
【今日の聖書】
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
また、だれかから何かだまし取っていたら、
それを四倍にして返します。」
ルカによる福音書 19章8節