なぜわたしを迫害するのか?
1.パウロの不思議な体験−光に照らされた−
パウロがまだイエス・キリストを信じていなかった時、
ダマスコ途上で不思議な体験をします。
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、
突然、天からの光が彼の周りを照らした。
使徒言行録 9章3節
天からの光が、彼の周りを照らしたというのです。
天からの光と言えば、ベツレヘムの野で野宿をしていた羊飼いたちも
同じように照らされています。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、
夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、
彼らは非常に恐れた。
ルカによる福音書 2章8〜9節
2.パウロだけがこんな体験をした
けれども聖書の中で光りに照らされたのは、この2回だけで、
他には、このような不思議な体験をした人は出てきません。
アダムに始まって、ノアも、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフも
ダビデもソロモンも、エリヤもエレミヤなどの預言者たちも、
ペトロもヨハネたち使徒たちも、こういう体験はしていないのです。
羊飼いたちを除けば、ただパウロだけが光に照らされています。
そしてその後パウロは、イエスの語りかけを聞くのです。
サウロは地に倒れ、
「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と
呼びかける声を聞いた。
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
使徒言行録 9章4〜5節
3.パウロの不思議な体験が彼を救いに導いた
こんな体験をしたら、たとえ迫害者と言えども
イエス・キリストを信じないでは、いられなくなるでしょう。
事実パウロは、この時以降まったく変えられるのです。
今まで迫害していたイエスを、今度は熱心に宣べ伝えるようになるのです。
すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、
イエスのことを宣べ伝えた。
これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。
「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを
滅ぼしていた男ではないか。
また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、
祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」
使徒言行録 9章20〜21節
パウロはこれ以降、イエス・キリストを伝える者として
異邦人世界に出て行って、働いていくことになるのです。
パウロは光で照らされ、イエスの言葉を直接聞いたからこそ、救われたのです。
むすび.すべての人に同じことをしたらみんな救われるのでは?
強烈な迫害者だったパウロが、一瞬で変えられることになったのです。
とするなら、反対者に対していつもこの方法をとれば
すべての反対者が救われるのではないか、と考えてしまいます。
なぜ、パウロだけだったのでしょうか?
他の迫害者や反対者にも、同じように光りが差し込んで照らし
神の言葉が語られたら、続々と救われるのではないでしょうか?
けれども、この方法でイエスの言葉を聞いたのは
聖書の中では、パウロひとりです。
他にはいないのです。
神は私たちに、そのような方法で人を救うとは言われていません。
人間が人間同士で対話して福音を伝える、という方法をとるように
神が定めておられるのです。
【今日の聖書】
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。
それは神の知恵にかなっています。
そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、
お考えになったのです。
コリントの信徒への手紙一 1章21節