コリントの信徒への手紙1の13章4〜6節を見ると、
愛とは何かが、列挙されています。
そこで気付くのは、「しない」という愛です。
ねたまない、自慢しない、高ぶらない、礼を失しない、
自分の利益を求めない、いらだたない、恨みを抱かない、
不義を喜ばないの、8つです。
しないというのは、目に見えません。
何かのプレゼントをあげたり、親切なことをしてあげたりするのは
目に見えます。
しかし、ねたまないというのは、目に見えません。
ねたんでいるのは、表情でわかるときもあります。
けれども、ねたんでいないのは、わからないのです。
自慢しないということは、かなり長くその人と一緒にいないとわかりません。
長く一緒にいてはじめて、
「ああ、この人が自慢しているの聞いたことがないなあ」とわかるのです。
以下、「高ぶらない」から「不義を喜ばない」までの6つも同様です。
すぐには、見えてきません。
長く長く一緒にいてはじめて、「そういえば...」と気づくのです。
しないというのは、目立ちません。
自己主張もありません。
ひっそりと、人知れず、行なわれ続けるのです。
「忍耐強い」も、「安易に怒らない」という訳にすれば、
「しない」という愛になります。
愛は実は、「相手に強いないことなんだ」ということが見えてきます。
愛は、隣人の意志を非常に大切にするのです。
そこに、「押しつけ」や「無理強い」はありません。
自分の思いをぶつけるのではなく、相手の意志を尊重し重んじるのです。
【今日の聖書】
愛は忍耐強い。
愛は情け深い。
ねたまない。
愛は自慢せず、
高ぶらない。
礼を失せず、
自分の利益を求めず、
いらだたず、
恨みを抱かない。
不義を喜ばず、
真実を喜ぶ。
コリントの信徒への手紙一 13章4〜6節