絶望のどん底
悪魔はヨブを、絶望のどん底に突き落としました。
ヨブはその凄まじい苦しみのただ中で、次のように語り
ただ死だけが迫っていると、絶望に飲み込まれています。
息は絶え、人生の日は尽きる。
わたしには墓があるばかり。
人々はなお、わたしを嘲り
わたしの目は夜通し彼らの敵意を見ている。
ヨブ記 17章1〜2節
まさに、どん底の状態です。
「自分の人生はもう終わった!あるのは死だけで、将来など消え失せた」
どれ程ヨブは失望落胆し、絶望に包まれていたことでしょうか?
ヨブの絶望と悲観が、ずっしりと重くのしかかってくる言葉です。
もうだめだ、これ以上生きることはできない、
誰か何とかしてくれぇ〜という呻きにも叫びにも聞こえてきます。
わたしの人生は過ぎ去り
わたしの計画も心の願いも失われた。
夜は昼となり
暗黒の後に光が近づくと人は言うが
わたしは陰府に自分のための家を求め
その暗黒に寝床を整えた。
墓穴に向かって「あなたはわたしの父」と言い
蛆虫に向かって「わたしの母、姉妹」と言う。
ヨブ記 17章11〜14節
『墓穴に向かって「あなたはわたしの父」と言い
蛆虫に向かって「わたしの母、姉妹」と言う。』
「何というグロテスクな表現なのか!」と読者を震撼させます。
聖書の中で、これほど絶望的で読む人を沈み込ませる言葉は
ないのではないでしょうか?
聖書から励ましを受けたいと思って、ヨブ記17章を読んだらどうでしょう?
なんだこれは!絶望以外の何物でもないではないか!
励ましを受けるどころか、暗くなるばかりです。
この時のヨブには、非難や批判や冤罪はあっても、救いの光がないのです。
どこになお、わたしの希望があるのか。
誰がわたしに希望を見せてくれるのか。
それはことごとく陰府に落ちた。
すべては塵の上に横たわっている。
ヨブ記 17章15〜16節
希望のかけらも、なかったのです。
「どこになお、わたしの希望があるのか。」
「誰がわたしに希望を見せてくれるのか。」
ヨブの問いかけは、まさに全人類の問いかけでもあります。
その答えは、確かにあるのです。
ヨブ以上の苦しみを十字架で受けて死なれ、
墓に葬られ、3日目によみがえられたイエス・キリストこそ、
私たちの、永遠の希望なのです。
この方以外に、真の希望を与えて下さるお方はおられません。
イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりになって十字架で死なれ
私たちに罪の赦しと、永遠の命を与えて下さったのです。
信じるだけで、罪が赦されて神の御許にいくことができるようになったのです。
死んで終わりではない、永遠の希望を与えて下さったのです。
死んだ後に天において、神と共に永遠に生きられるのであれば
この地上における苦しみは、もはや絶望的な苦しみにはなり得ないのです。
【今日の聖書】
わたしたちの救い主である神と
わたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、
キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
テモテへの手紙一 1章1節