氷山の一角
氷山は、海面の上には一部しか姿を現しませんが、
海面下には、その何倍もの体積の氷が沈んでいます。
そのように私たちも、わかっているようで
実際は、ほんの一部しかわかっていないことがあります。
ほんの一部しかわかっていないため、イエスをメシアと認識できなかったのが
ファリサイ派の人々や律法学者、大祭司や祭司たちでした。
そこで、彼らはののしって言った。
「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。
我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、
あの者がどこから来たのかは知らない。」
ヨハネによる福音書 9章28〜29節
宇宙についても、世界の有様についても、地上にある様々な生き物についても
人間についても、隣人についても、自分自身についても、特に自分の罪の大きさについて、
そして究極は、神についてもそうです。その愛の大きさについてには、特にです。
自分はわかっている、極めている、全部知っていると思ったら大間違いで、
もしそう思うなら、自分が無知であるということすらわかっていない
ということになるのです。
自分は何か知っていると思う人がいたら、
その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。
コリントの信徒への手紙一 8章2節
そして神は必要な場合、私たちにわかっていないことを教えて下さるのです。
迫害をしていた若きサウロ(後のパウロ)には、
イエス・キリストこそ本当の救い主であることを教えられました。
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と
呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
使徒言行録 9章4〜5節
ユダヤ人だけが救いの対象だ、と考えていたペトロには、
異邦人も救われることを、教えられています。
そこで、ペトロは口を開きこう言った。
「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。
どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。
使徒言行録 10章34〜35節
今日も神に近づき、まだまだわかっていないことを
神に教えて頂きたいと、そう願います。
【今日の聖書】
自分は何か知っていると思う人がいたら、
その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。
コリントの信徒への手紙一 8章2節