今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2019/4/21(日)

 
牡丹

報いを望み見る

1.「救い」とは別の、救いの後の「報い」がある

 天における「報い」があります。これは「救い」とは別のものです。
 この人生をどう生きたかで、その「報い」が変わってきます。
 「救い」はイエス・キリストを信じると、誰もが受け取れます。

 「救われる」ということにおいては、信じた人すべてに平等です。
 みんな同じように罪が赦されて、永遠の命が与えられます。
 けれども、天における「報い」は、人によって変わります。

2.救いはイエス・キリストを信じたことの報い

 「救い」のことを、「報い」と表現している箇所も何カ所かあります。

 あなたがたは、
 御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。
 あなたがたは主キリストに仕えているのです。
 コロサイの信徒への手紙 3章24節

 「御国を受け継ぐこと」は、「救われること」と同じ意味ですから
 この場合の「報い」と言う言葉は、イエス・キリストを信じた「報い」
 ということになり、「救い」を表すことになります。

 救いも、イエス・キリストを信じたということの報いと言えますから
 神から頂く、大きな報いのひとつではあります。

3.救いとは別物の報いには大小がある

3.1 神のみ前で人生の働きが評価される時がやってくる

 けれども、天における報いということにおいてはその人その人によって変わります。
 ある人は多くの報いを受け取り、ある人は報いが少なかったりするのです。
 そのことは、聖書の中にはっきりと明確に記されています。

 おのおのの仕事は明るみに出されます。
 かの日にそれは明らかにされるのです。
 なぜなら、かの日が火と共に現れ、
 その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。
 コリントの信徒への手紙一 3章13節

 人生でどのように行動したかということが、最終的に神のみ前で
 正しく評価される時が、やって来るというのです。

 なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、
 善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
 報いを受けねばならないからです。
 コリントの信徒への手紙二 5章10節

 地上での行いに応じた報いを受け取る時が、やってくるのです。

3.2 救われても、報いを受ける者と損害を被る者の両方がある

 だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、
 燃え尽きてしまえば、損害を受けます。
 ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。
 コリントの信徒への手紙一 3章14〜15節

 救われて報いを受け取る人と、救われることは救われても
 報いではなく損害を受けつつ、火の中をくぐり抜けて来た者のように救われる人の、
 両者がいるということです。

3.3 キリストの再臨の時、各自の行いに応じて報いられる

 イエス・キリストの再臨の時、その時こそ
 各自の行いに応じて、報いを受ける時になります。

 見よ、わたしはすぐに来る。
 わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
 ヨハネの黙示録 22章12節

 その時には、それぞれの行いに応じて報いられます。

むすび.

 救いは平等ですが、報いは地上の人生の行いに対応します。
 タラントのたとえにもあるように、私たちには使命が与えられ
 それを行って生きていくことが、要求されているのです。

 キリストが与えて下さった「互いに愛し合いなさい」という使命を
 地上の人生の中で、実行し続けていくのです。
 最終的にそれが正しく評価されて、報いを受ける時がやってきます。

 【今日の聖書】
 気をつけて、わたしたちが努力して得たものを失うことなく、
 豊かな報いを受けるようにしなさい。
 ヨハネの手紙二 1章8節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新