今日のできごと


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2019/12/6(金)

 
培塾跡地

培塾

 雑賀地区には、培塾の跡地があります。
 この塾は、1855年(安政2年)に澤野修輔が開いた塾で、
 この塾で、多くの有名人が学んでいます。

 総理大臣を務めた若槻礼次郎、スポーツの父と呼ばれた岸清一、
 民法学者として活躍した梅謙次郎はじめ、衆議院議員を通算7期務めた岡崎運兵衛、
 島根師範学校や松江中学校・東京師範学校で教鞭を執った渡部寛一郎、

 松江藩の藩校修道館の算術方助教を勤め、
 明治6年(1873)雑賀小学校の初代教員となって算術を担当し
 明治8年(1875)雑賀小学校の2代目校長になり、

 辞職後は、共進学舎を開いて、
 教員検定試験受験者、数学理科専修者を対象として教えをなした尾原総八、
 雑賀和算の最後の継承者だった久保田愛之丞、等々の面々です。

 培塾を始めた澤野修輔は、幼いころからとても勉強好きだったそうです。
 1850年(嘉永3年)に内中原町の養生塾で漢学を学び儒学を身につけると
 1854年(安政元年)には、江戸に出て幕府の昌平校で学んだそうです。

 翌年松江に帰郷すると、雑賀町10番地に「培塾」を開き
 子どもたちの教育に熱心に取り組んだといいます。(雑賀公民館ブログ参照) 
 元々、雑賀町は鉄砲隊の町でしたが、学問の町へと変貌していきました。

 松江市で最初の小学校は、この雑賀地区にある雑賀小学校なのです。
 松江城の近辺ではなく、鉄砲隊の住んでいた雑賀地区に最初にできたのです。
 1873年(明治6年)4月20日に、洞光寺に雑賀小学校が開校したのです。

 そしてこの雑賀小学校の初代校長こそ、培塾を開いた澤野修輔なのです。
 このように、松江市の雑賀地区は、学問の盛んだった地として
 今なお、その痕跡を残しているのです。

 しかし、私たちが本当に学ばなければならないことは、
 算術や国語、社会、科学などではなく、私たちの造り主である神についてです。
 そしてそれを教えて下さる真の教師こそ、イエス・キリストなのです。

 【今日の聖書】
 一行はカファルナウムに着いた。
 イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
 人々はその教えに非常に驚いた。
 律法学者のようにではなく、
 権威ある者としてお教えになったからである。
 マルコによる福音書 1章21〜22節


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