罪人のままで何をやってもうまくいくはずがない
人間は皆、等しく罪人です。
いつどこで生まれようが、どんな教育を受けようが罪人です。
どんなに立派な行いをしようが、罪人なのです。
ですから罪人のままで何をやっても、本来うまくいくはずがないのです。
本来うまくいかないのに、うまくやろうとするからそこでいらだちます。
できないことをやろうとしているからです。
根本的に罪が解決しない限り、何をやってもうまくいきません。
どんなにうまくやっているようでも、人の目に立派に見えることであっても、
根底が罪である限り、最後は崩れ去ります。
「いやしかし、彼は仕事もきちんとやっているし、家庭も幸せそうだし
子供たちも元気いっぱいに育っている、家だって立派な家に住んでいる、
近所づきあいも、友人関係も良好に見える、彼らはうまくやっているよ」
と言われるかもしれません。
それはちょうど、新築のマンションを眺めているようなものなのです。
ただし、耐震偽装で建てられたマンションです。
見えている部分だけを見て判断するなら、うまく建てられていると思えます。
いや耐震偽装している方が耐震にお金をかけていない分、内装は豪華かもしれません。
しかし、いざ大きな地震が来た時、どうなるでしょうか?
豪華な内装であったとしても、建物全体が崩れ去ってしまうことになり兼ねないのです。
そんなマンションには、誰も住みたいとは思わないでしょう。
たとえ地震が来ても、びくともしない頑丈なマンションに住みたいのです。
見た目で判断するのは、危険です。
きちんと耐震基準に沿って建てられているかどうかは、見ただけではわかりません。
目に見えている内装の豪華さではなく、見えていない部分こそが重要なのです。
罪の解決なしに、うまくやっているように見える人がいるなら
それはちょうど、このような耐震偽装のマンションを見ているようなものなのです。
聖書の表現で言えば、砂の上に建てられた家を見ているようなものなのです。
砂の上にいくら立派な家を建てても、最後は倒れてしまうのです。
罪の解決こそ、岩の上に家を建てることなのです。
イエス・キリストを信じて生きることは、岩の上に家を建てるのと同じです。
罪が解決されることから、うまくいく人生が始まっていくのです。
何をやってもうまくいかない人生は、罪が解決されることによって、
「神に助けてもらうことによってうまくいく」人生へと変えられるのです。
罪が解決していなければ、うまくいっているように見えてもその最後は滅びです。
目に見える状態だけで、判断してしまわないよう
土台をどこに据えているかで、判断するようにしていきましょう。
【今日の聖書】
「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。
岩を土台としていたからである。
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、
砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、
倒れて、その倒れ方がひどかった。」
マタイによる福音書 7章24〜27節