今日のできごと


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2018/6/19(火)



父なる神

1.神は父なる神である

 イエスは神を「父よ」と呼んでいます。
 神は「父なる神」と呼ばれるお方です。
 人間の父親の姿には、父なる神の姿が投影されいます。

 ただし、罪が入り込んでしまった結果、
 人間の父親に見られる、父なる神の投影像は、ねじれてしまっています。
 ちょうど凹面鏡や凸面鏡に映し出された姿を、見るような感じです。

 凹面鏡や凸面鏡に映し出された姿は、そのものの姿ではありませんが
 そこに本来の姿の、一端をみることができます。
 それと同様に、人間の父親の姿には、ねじれた姿になってしまってはいますが、

 父なる神の姿の、一端が表されています。
 神は「父なる神」であり、本来的な父親の姿こそ、
 父なる神の姿をあらわすものです。

2.父は子をどこまでも愛する

 父は子を愛します。子がどのような状態であろうとも愛し続けるのです。
 放蕩息子のたとえからも、そのことがわかります。

 何日もたたないうちに、
 下の息子は全部を金に換えて、
 遠い国に旅立ち、
 そこで放蕩の限りを尽くして、
 財産を無駄使いしてしまった。
 ルカによる福音書 15章13節

 下の息子は、放蕩の限りを尽くして、
 財産を無駄使いしてしまいます。
 どうにもならなくなって、家に帰ってきます。

 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
 ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、
 憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
 ルカによる福音書 15章20節

 放蕩の限りを尽くした息子であったにもかかわらず
 父は憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻して
 彼を迎えるのです。それが本来的父親の愛の姿です。

3.父は子に最も良いものを与え続ける

 父は子に与えます。
 子が最も必要としているものを、惜しまずに与えます。
 子を害するものを与えるようなことは、決してしないのです。

 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、
 門をたたく者には開かれる。
 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、
 石を与えるだろうか。
 マタイによる福音書 7章8〜9節

 パンを欲しがる子に、石を与えたりしないのです。
 最も必要なものを、与えてくれるのが父親です。

 わたしたちすべてのために、
 その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、
 御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
 ローマの信徒への手紙 8章32節

むすび.

 本来的父親の姿にこそ、父なる神の姿が表されています。
 神は父親のように、私たちをどこまでも愛し、
 なくてはならないものを、惜しみなく与え続けて下さるお方なのです。

 【今日の聖書】
 だから、こう祈りなさい。
 『天におられるわたしたちの父よ、
  御名が崇められますように。
 マタイによる福音書 6章9節


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