今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新
2018/3/19(月)



孤独の苦しみ

1.イエス・キリストのゲッセマネでの孤独の祈り

 イエス・キリストのゲッセマネの祈りは、弟子たちも共にいましたが
 彼らは共に祈らずにそこで眠っていましたので、イエスのたったひとりの祈りでした。
 これから起こることをご存知だったのはイエスのみで、

 弟子たちにはイエスの捕縛と、十字架など思いもよらないことでした。
 イエスはひとりで苦しまれ、ひとりだけで祈っておられたのです。
 共に祈ってくれる弟子は、誰一人いなかったのです。

 いつも身近にいて行動を共にしていた弟子たちの、だれひとりも
 ご自分の心の苦しみ呻きを、理解していなかったのです。
 誰からも理解されない中で、たったひとりでイエスは祈っておられました。

2.イエス・キリストの十字架上での孤独の苦しみ

 捕らえられた後は、弟子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。
 一番苦しい時に、一番親しかった弟子たちがみんな逃げてしまったのです。
 十字架の苦しみを見る時に、そこにイエスの孤独の苦しみをみます。

 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。
 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
 これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
 という意味である。
 マタイによる福音書 27章46節

 弟子たちだけでなく、十字架上ではさらに父なる神にまで見捨てられ、
 完全な孤独の中で、耐えがたい苦しみを味わわれたのです。
 十字架で血潮を流され苦しまれた後、最後には死なれました。

 誰からも理解してもらえない苦しみ、だれも共にいてくれない孤独は
 私達にとっては耐え難いものです。それが冤罪であればなおのことです。
 その苦しみをイエスは、味わわれたのです。

3.孤独の十字架の苦しみこそ私達の罪を赦すためだった

 ご自分は何も悪いことをされていなかったのに、
 罪に定められ十字架につけられ、誰からも理解されずに死んでいく。
 しかも肉体的には極度の痛みが与えられている。

 その十字架の苦しみこそが、私達の罪を赦すためでした。
 私達は、このようなイエスの十字架の死によって、罪の赦しを受けたのです。
 十字架で流された血潮によって、完全な赦しを頂きました。

むすび.私達はイエスによって赦され孤独でなくなった

 イエスは孤独の苦しみを味わわれましたが、
 私達イエスを信じる者は、孤独ではありません。
 いついかなる時でも、イエスがともにいてくださるからです。

 私達が孤独を味わう時に、共にいて慰め励ましてくださいます。
 私達にはいつも、イエスが共にいてくださるのです。
 罪を赦し、万事を益と変えて下さるイエスが共にいて下さるのです。

 【今日の聖書】
 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
 わたしは世の終わりまで、
 いつもあなたがたと共にいる。」
 マタイによる福音書 28章20節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新