3号機爆発の日の水汲み
7年前の今日、3月14日午前11時1分に、
福島第一原子力発電所の3号機が、爆発しました。
テレビの映像を見る限りでは、かなりひどい爆発と見て取れました。
東日本大震災の影響で大きかったのは、
原発の爆発による、放射能汚染だと思います。
当時私はいわき市にいましたが、原発から50キロ圏内でした。
外では、広報車が、かんかんと鐘を鳴らしながら
「屋内に退避していてください」と警告していました。
放射能に関する知識がほとんどなかったため、
屋内に退避するぐらいで、放射能を避けられるのだろうか?
木造住宅の中に入った所で、放射線は鉛じゃないと通過するのでは?
と疑問に思いましたが、とりあえず家にいました。
窓を閉め、換気扇をふさいだ方がいいというので、
換気扇をふさいだのですが、この時1階の男子トイレの窓と
2階寝室の窓があいているのには、まったく気付きませんでした。
ただ水が出なかったので、屋内退避していては水が入手できないので
夜半に外に出て、浄水場に水を汲みに行きました。
教会の方が車を出して下さり、泉浄水場に向かいました。
6号バイパスを通ったのですが、地震の影響ででこぼこで
とても普段のスピードでは走れませんでした。
深夜にもかかわらず浄水場の前の道路は、すでに車で一杯でしたが
かなり離れたところに車を停め、容器やビニール袋を持って
浄水場に向かいました。浄水場の中は、人で一杯でした。
蛇口はかなりありましたが、それぞれに並んでいました。
浄水場で水を汲みましたが、水の重さを実感しました。
1リットル1キロなので、10リットル汲むと10キロです。
ですから一度に50リットルなど汲んでしまうと、大変なことになります。
生活用水を確保するには、20リットルのポリタンク複数個と
台車が必要だということが、身に染みてわかりました。
そういう用意がありませんでしたので、私達は
ゴミ用のビニール袋を2枚重ねにして、それに水を入れ、
2袋分をプラスチックの衣装ケースに入れて、二人で手で運びました。
おそらく60キロ以上あったのではないかと思います。
やっとのことで水を汲み帰宅しましたが、午前0時を回っていました。
この時くんだ水と、神学生キャラバンのために買ってあった食糧の一部を
次の日の15日の午前中に、他の家にも配ることができました。
聖書にはハガルという女性が出てきます。
水がなくなって途方に暮れていた時、
神が彼女の目を開かれ、井戸を見つけさせられました。
ハガルは革袋の水がなくなって、もう駄目だと思いましたが
もう駄目ではなく、井戸が備えられていたのです。
そして生き延びることができたのです。
【今日の聖書】
神がハガルの目を開かれたので、
彼女は水のある井戸を見つけた。
彼女は行って革袋に水を満たし、
子供に飲ませた。
創世記 21章19節