キリスト抜きの義認はない
1.ヨブの親友たちの自己義認
ヨブには3人の親友がいました。
テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの3人です。
彼らは、苦しみの真っただ中にいるヨブに対して語ります。
その意味は以下のようなものです。
「あなたが受けている災いは、あなたの罪の結果だ」
「神があなたの罪に対して罰を与えているのだ」
ヨブはそれに対して、反論しますが、彼らは断固として譲りません。
「ヨブが間違っていて私が正しいのだ」と、彼らは語っているのです。
自分を正しいとして、ヨブを正しくないとしていたのです。
2.ヨブの自己義認
ヨブはそれに対して、答えます。その意味は以下のようなものです。
「いや私は何も悪いことをしていない」
「間違っているのは、こんな苦しみを与える神の方だ」
ヨブの3人の親友たちは、「ヨブでなく自分たちが正しい」と思い、
ヨブは、「自分が正しくて神が間違っている」と思っていました。
共通点は何でしょうか?
3.誰も正しくなかった
「自分は間違っていない、自分は正しい」という自己義認です。
ヨブも3人の親友たちも「私は正しい」と思っていたのです。
しかしこれが大間違いでした。
ヨブは神に諭されます。
3人の親友たちも、神に怒られます。
4人とも正しくありませんでした。正しかったのは神だけです。
むすび. 自己義認こそが罪そのもの
自分を正しいとすることが、間違いなのです。
「私は罪人です」「神のみ前に悔い改めます」
すべてはここから始まっていくのです。
その罪を赦すために、イエス・キリストは十字架にかかってくださったのです。
イエス・キリストの十字架以外に、罪の赦しはあり得ないのです。
イエス・キリスト抜きに、自分を義とすることは決してできないのです。
【今日の聖書】
人は皆、
罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、
神の恵みにより無償で義とされるのです。
ローマの信徒への手紙 3章23〜24節