必ず訪れる神の怒りの裁きの日
今日は祈祷会で、ヨハネの黙示録6章を読みました。
神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。
だれがそれに耐えられるであろうか。
ヨハネの黙示録 6章17節
福音書の中のイエス・キリストは、十字架にかけられて
殺されてしまう程、弱弱しいイメージがあります。
しかも何の罪も犯していないにもかかわらず、
死刑にされるという、理不尽さも付きまといます。
なぜ正義の神が、神の子イエス・キリストの
理不尽な冤罪の裁きによる死刑を、赦されたのか?
そんな疑問も起き得るような、状況でした。
悪がそのまま放置されてもいいのだろうか?
神は悪を見過ごしになさるのだろうか?
けれども、最終的な裁きが、
きちんと将来なされるのだということが、
このヨハネの黙示録の6章からわかります。
「神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。」
と明確に記されています。
やがて将来、正しい裁きの日が、必ずやってくるのです。
そこにはもはや、弱弱しいキリストの姿はありません。
力強く世を裁かれ、栄光に輝くキリストの姿です。
イエス・キリストは、やがて来るべき裁き主なのです。
【今日の聖書】
山と岩に向かって、
「わたしたちの上に覆いかぶさって、
玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、
わたしたちをかくまってくれ」と言った。
神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。
だれがそれに耐えられるであろうか。
ヨハネの黙示録 6章16〜17節