今日のできごと
2017/1/19(木)

安息日は人を生かすためにある
昨日はマルコによる福音書2章を読んで
みんなで分かち合いをしました。
麦の穂を摘んで食べるところです。
ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、
弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。
ファリサイ派の人々がイエスに、
「御覧なさい。なぜ、彼らは
安息日にしてはならないことをするのか」と言った。
イエスは言われた。
「ダビデが、自分も供の者たちも、
食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、
一度も読んだことがないのか。
アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、
祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、
一緒にいた者たちにも与えたではないか。」
そして更に言われた。
「安息日は、人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。
だから、人の子は安息日の主でもある。」
マルコによる福音書 2章23〜28節
1.安息日には何の仕事もしてはいけない戒めがあった
モーセの十戒の4番目は、安息日を守ることに関する戒めです。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、
いかなる仕事もしてはならない。
あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、
あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、
七日目に休まれたから、
主は安息日を祝福して聖別されたのである。
出エジプト記 20章8〜11節
6日間は仕事をしてもいいのですが、安息日には必ず休みなさい
という命令です。いかなる仕事もしてはならない、
とありますので、どんな仕事もしてはいけなかったのです。
イスラエルの人々が荒れ野にいたときのこと、
ある男が安息日に薪を拾い集めているところを見つけられた。
見つけた人々は、
彼をモーセとアロンおよび共同体全体のもとに連れて来たが、
どうすべきか、示しが与えられていなかったので、
留置しておいた。
主はモーセに言われた。
「その男は必ず死刑に処せられる。
共同体全体が宿営の外で彼を石で打ち殺さねばならない。」
民数記 15章32〜35節
薪を拾い集めていた人が、死刑になっていた程ですので、
畑で穂を摘むのも同じようなもので、それは収穫作業という仕事だ
安息日の掟を破っているという論理です。
2.安息日は霊的にも肉体的にも回復させる日
安息日にどんな仕事もしてはいけなかった、
その理由をイエス様は語っておられます。
そして更に言われた。
「安息日は、人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。
マルコによる福音書 2章27節
単に「安息日が来たら仕事をしない」という決まりではなく
安息日というのは、人のためにあるものであって、
人に休みを与え、回復させるためのものだというのです。
3.律法は人を生かすために与えられていた
律法は人を生かすために、神様が与えてくださったもので
律法のために、人間が存在しているわけではなかったのです。
空腹のダビデとその供の者たちが、食糧が欲しかった時
神殿に供えたパンがそこにあるにもかかわらず
律法に「祭司以外は食べてはいけない」とあるからと言って
もし死んでしまったとしたら、それは本末転倒になってしまいます。
今回の律法は、祭司の食糧を確保し、祭司を生かすための律法です。
一般の人にパンを食べさせないことに主眼があるのではなく、
祭司に食事を与え、祭司を生かすことに主眼を置く律法なのです。
その律法の本質をはき違えて、律法を文字通り受け取ってしまうと
人を生かすための律法が、逆に人を殺してしまう結果となるのです。
飢えて死ななくてもよいように、祭司でもない人が律法に背いて
神殿のパンを食べても、それは罪にはならないのですよ、
律法を形だけ守ることよりも、人の命の方がよっぽど大事ですよ
とイエス様は、教えておられるのです。
【今日の聖書】
そして更に言われた。
「安息日は、人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。
マルコによる福音書 2章27節