ガラテヤの信徒への手紙では、
イエス・キリストを信じていることを、
イエス・キリストを「着ている」と表現しています。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、
キリストを着ているからです。
ガラテヤの信徒への手紙 3章27節
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着せる,まとわせる,着る,
身につける,まとう,武具などで身をよろう
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この言葉は、エフェソの信徒への手紙でも使われています。
神にかたどって造られた新しい人を身に着け、
真理に基づいた正しく清い生活を送るように
しなければなりません。
エフェソの信徒への手紙 4章24節
「新しい人」を「身に着け」の「身に着け」という言葉が
ガラテヤの信徒への手紙の「着る」と同じ言葉を使っています。
「着る」というのは、ほかでもない「服を着る」と同じです。
服というのは、生まれながらの人間には着いていません。
赤ちゃんは、裸で生まれてきます。
服は、もともと自分の中にはないわけです。
着るというのは、自分の中にないものを、
外から持ってきて、自分の身に着けるということです。
キリストを着るというのは、まさにその通りです。
自分には、もともとなかった義(正しさ)を
キリストによって、与えられ身に着けるのです。
だから誰も、誇ることはできないのです。
もともと罪人として生まれた私たちが、
イエス・キリストを着る(信じる)ことによって、
罪がゆるされ、おおわれて、義とされるのです。
【今日の聖書】
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、
キリストを着ているからです。
ガラテヤの信徒への手紙 3章27節