今日のできごと
2016/12/17(土)

教会の牧師にとって、毎週日曜日の説教のための準備は
非常に力を使う仕事です。
「説教は人である」と言われていますが、
牧師自身の信仰と霊性が、そのまま説教として出ていきます。
ですから、牧師の日々の信仰生活が問われることになります。
「何をどのように語るか」という準備よりも、
「1週間どのように生活したか」ということの方が、
説教に、より影響を与えるのです。
もっと言えば、直近の1週間という短い期間ではなく
「人生すべてに渡って、今までどのように生きてきたのか」
ということ自体が、説教に現れていきます。
今までの人生すべてが、説教に現れるのです。
もし牧師が、1週間何も神に求めず、何も神から与えられていなければ、
空っぽのまま講壇に上らなければなりません。
空っぽの器から、人々に与えられるものは何もないでしょう。
だから祈るのです。
神様から、良いものを豊かにいただけるように祈ります。
愛も喜びも平和も、聖霊の結ぶ実です。
神様からしか、それらは来ないのです。
自分の内側をいくら探しても、ありません。
だから祈ります。
牧師が神様からいただいたものが、説教に現れます。
だから教会は、牧師に神様が良いものをたくさん与えてくださるように
とりなし祈るのです。
【今日の聖書】
わたしは、自分の内には、
つまりわたしの肉には、
善が住んでいないことを知っています。
善をなそうという意志はありますが、
それを実行できないからです。
ローマの信徒への手紙 7章18節