さえちゃんの救いの証

は小さいころキリスト教の幼稚園に通っていました。

そこでは、お祈りや、神さまとイエスさまについてのお話を聞くことが日課になっていました。

先生がたは子どもにも分かるように簡単な言葉しか使いませんでした。

だから、キリスト教という宗教について、深く理解をしていたというわけではありませんが、
「天国にいらっしゃる私達のお父様」が神さまであることや、イエスさまが数々の奇跡を起こしたこと、
また、イエスさまは善いものであるということは何となく分かることができました。

また、色んなことをする前には、かならずお祈りの時間があり、それが自然であるという雰囲気もありました。

幼いときにこういう環境におかれていたことは、非常に恵まれていたと思います。

先生がたも、ほんとうに私たちのことを考えてくださっている方が沢山いらっしゃったので、
良かったと思います。




かし、その後、小学校は公立に通うようになると、そこでは先生がたはお祈りなんてしませんし、
神さまの話も全然しませんでした。

小学校時代の6年間を過ごすうち、神さまのことをすっかり忘れていたように思います。

また、小学校の頃は勉強が得意な方ではありました。しかし、神さまのことを忘れている生活だったので、
恵みに感謝するのではなく、変な自信のつけかたをしてしまいました。

人からほめられることばかり求めがちだった私は、自分と同じようにできない子を下に見てしまったり、
大人から見えないところでは恐ろしく陰険なことや、意地悪なことをしていたように思います。

その後、中学受験をし、念願の第一志望校に入学しました。

そこは中高一貫のキリスト教の学校でした。しかし、当時はキリスト教だから選んだという認識は
ぜんぜんありませんでした。

そして、私は、この時も自分の実力で合格できたと思い込んでいましたから、神さまから離れていたと
思います。

神さまや人について考えることがあっても、それは幼稚園時代に得たような教えではなく、
その後耳に入ってきた、さまざまな人の解釈に染まった考え方を基礎にしていました。

「神さまは、人間がつくりだしたものではないのか」「イエスも、人間が理想の人として
つくりあげた架空の存在ではないの」、など、さまざまな疑問をキリスト教に対して持ちはじめました。

友達とも色んなことを語り合ったりしましたが、正確な知識や信仰を学ぼうとせずに
わたしたちで喋っても答えはでませんでした。

結局、何らかの大いなる存在は居ると考えていましたが、それがイエスさまと通じるものであるのかは
わからない、という結論になっていたと思います。

中高時代も毎日礼拝があり、また、聖書を学ぶが時間与えられていましたが、私はそのどれにも不真面目でした。

礼拝には遅刻間際に駆け込み、しかも聖書と賛美歌を持たずに手ぶらでぼんやりとしていたり、
友達と喋ったり、眠ったりと非常に悪い態度でした。

聖書の授業も適当にやっていたので、きちんと知識を得ることができないまま
6年間を過ごしていたことが悔やまれます。

また、中高時代は聖書の科目に関わらず、成績全体もひどいものとなりました。
「神さまから与えられる毎日」だという発想もなく、
また、人から褒められることもさほど自分にとって重要でなくなってくると、
何のために日々暮らしているのかも全く分からなくなりました。

他にもさまざまなことが上手くいかないように感じ、すねていた日々だったと思います。



かし、そんな日々の中でも神さまはずっと呼びかけていらっしゃいました。

中学一年生のとき、友達に誘われて教会の中高課の日曜礼拝に参加しました。
その教会は、私が幼い頃通っていた幼稚園の教会でした。

懐かしさと、帰りに友達と喋ったり遊んだりすることが楽しいので、
それから行けるときは中高課の日曜礼拝に参加するようになりました。

当時、信仰というもの自体はいいかげんであったにせよ、日曜礼拝に通えるようになったというのは
すごいことだったと思います。

その後、受験生時代になると、「自分が本当は何をしたいのか」、
「人からの評価以外にどんなものを求めて生きていけば良いのか」ということについて本気で考え始めました。

信仰というものを抜きにして、自分の人生を考えていたころは、
やはり神さまから離れていたし、考えれば考えるほど、
「自分自身には本当は価値が無いのではないか」と不安になりました。

何をすればいいのかも分からないまま、とりあえず目の前にある勉強をしていくのはつらい生活ではありました。




そして今の大学に行くことになりました。そこは、またしてもキリスト教の学校でした。
自分で選び取った意識は全く無かったし、はじめはそこに行く気は無かったのですが、
気がついたら今の大学に行くことになっていました。


また、この頃母の紹介がきっかけとなり、日本同盟基督教団の播磨キリスト教会への導きがありました。

大学入学後すぐ、ある礼拝にて私は第一コリント人への手紙第一の13章のみことばに出会いました。

礼拝で読まれたのは、13章全てだったのですが、長いのでその一部分を掲載致します。


愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。

愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、

怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。(1コリント人への手紙13:4−8a)



神さまから、コリント人への手紙、第一の13章が示された時に、
すんなり今までのことと、これからの自分の人生について受け入れることができたように感じます。

神さまが私たちに与えるのも、また、わたしたちに要求するのも愛なのだと分かりました。

その後、播磨キリスト教会での礼拝に参加させていただいたり、
大学でもキリスト教学を学ぶにつれ、
私がのぞんだり、努力したりして今の道を歩んだのではなく、
神さまは一方的に、ずっと変わらない愛を注いで、
道を示していてくださったのだと分かりました。

神さまから背いた生き方は、それ自体が罪であり、
自分により頼んで生きることは何と危ういものであろうかと気がつきました。

「今まで、神さまのことを考えず、罪を平気で犯し、
『自分は良い人間だ』などと考えていたことが非常に虚しかったな」と思います。

いくつもの思い出したくないエピソードがあります。
それらは、私が神さまを忘れ、自分中心で生きていたことが原因にあると思います。

また、自分では、「とりたてて大きな罪を犯していない」と思っていたり、
「順調だ」と思っているときでも、神さまは私たちの心の中や、
目に見えていないところまで、しっかり見られて判断される方だということも分かりました。

そして、どうしようもない人間の罪を背負って、イエスさまは十字架にかかられたのだということ、
まさに毎日、私の心が神さまから離れて、すさんでいるその瞬間ごとの罪を、
イエスさまは負ってくださっているのだと分かりました。

これからの信仰生活は、神さま中心でありたいと思います。
つい、迷ったり、悲しんだりすることがあっても、
「神さまが中心ということは変わらない自分でいたい」と考えています。




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