神がこの世を創ったなんて!

たちは物質には必ず、始まりと終わりがあることを知っています。
それは何に対しても、適用することができます。
例えば長い年月が経っても、変わっていないように見える太陽でさえも、
毎秒何万トンもの燃料をずっと消費しています。
ということは、いつかはすりへって無くなってしまうということです。

これはまるで一度巻かれたネジが、すこしずつ緩んできているようなものです。

ネジはある時点で、何か知性を持ち、力(エネルギー)をもっている存在によって巻かれなければ
ならなかったのです。
これは宇宙全体についても同じようなことが言えるでしょう。

私たちは学校で、宇宙はビッグバンと呼ばれる出来事によって生まれたという説が有力だと、
教えられてきました。
しかし、その爆発はなぜ起きたのでしょうか?なぜ爆発によって今日見られるような秩序が発生したのでしょうか?
だれもそのような経験はしたことが無いでしょう。

次の話を読んでみてください。

「私は仕事場に行く途中に、いつもスクラップ置き場のそばを通りました。
それは、その道が仕事場への一番の近道だと知っていたからです。
そのスクラップ置き場には誰も手をつけていませんでした。ただのガラクタが転がっていただけだからです。
しかし、そのひとつひとつは昔は車のパーツや、精密な機械の一部だったのです。
今はそれらは見るかげもありません。ばらばらに分解されているからです。

私がそこを通りはじめて、長い年月が過ぎたある日、おかしなことが起きたのです。

昨日の夜起きた巨大な竜巻によってスクラップが舞い上げられ、
どうにかいくつもの偶然が重なって、
JALの飛行機にもひけ劣らない立派な飛行機が、出来上がったのです。

その飛行機には空中を飛ぶための翼、ジェットエンジン
中に入ってみると、ちゃんと操縦席があり、窓、トイレ、ビジネスクラスの座席、
なんと燃料まで積まれていたのです。
それは今にも飛び立ちそうな風貌をしていました。
私は自分の目を疑いました。少しの知性を使わずに、数限りない偶然が重なって、
このような複雑な構造を持ったものが生まれるなんて…」

これは現実に起こった出来事でしょうか?それとも、ただの作り話でしょうか?

もちろんこれは単なる作り話です。このようなことは現実にはありえません。
何の知性も無しに情報が追加され、整理され物質が機能を持つことはありません。

しかしちょっと待ってください。
私たちは生物に関して、どのような考えを持っているでしょうか。
私たちは原始スープの中にある科学物質やアミノ酸(無機質)が雷の衝撃によって、
偶然にタンパク質を形成し、
偶然にアメーバのような単細胞生物へと進化し、
偶然に単細胞から多細胞へ、
偶然に多細胞から魚類のような脊椎を持った脊椎動物に、
偶然に魚類は両生類へ、
偶然に両生類から爬虫類へ、
偶然に爬虫類から哺乳類へ
進化したというのです。

何か矛盾していませんか。

進化論ではまず自然を超える知性は無いと仮定します。そこから論理を組み立てていくのです。

何かおかしくないですか。

純粋な偶然によって生物が進化してきたと信じることは、
スクラップ置き場のスクラップが竜巻によって、飛行機になるといったことと大差ありません。
だれもこの手の話を信じることはありませんが、生物と(もとは物質)なるとなぜか信じてしまうのです。

鳥類を見てください。
その羽は風をつかむように設計され、骨の中は空洞で軽く、気嚢と呼ばれる空気が入った袋が体じゅうにあります。
体は流線型、羽ばたくための筋肉があり、さらに渡り鳥になると何千キロも離れた未知の場所に
正確に飛んでいくことができます。

鳥類を見る前に個々の細胞をみてみるべきでした。
動物細胞なら、その中には細胞核、リボソーム、粗面小胞体、ミトコンドリア、中心小体、
リソソーム、ゴルジ体、滑面小胞体などがあります。
細胞核は内部に遺伝情報を担うDNAを含み、リボソームはタンパク質の生合成のときDNAを
翻訳し、ミトコンドリアは細胞のエネルギーを生産する場であり、
リソソームは細胞自身の老廃物の細胞内消化を担う。などのそれぞれ決まった役割があり、
それぞれが決められた場所になければならないのです。

生物の設計図と呼ばれるDNAも、偶然にできるものではありません。
私たちは「DNA解読」という言葉を使いますが、「暗号」でなければ解読はできません。
暗号は偶然に出来上がるものなのでしょうか?
遺伝子の中の情報は、およそ500ページの本1000冊以上の情報量に等しいと考えられてきました。
現在、科学者たちはその数字が極めて控えめなものだと考えています。


これらのものはすべて精密に設計されています。
設計があるのに設計者がいないということがありえるのでしょうか。

あなたがこの文章を読めるのも、
知性によって設計された家の中で、
知性によって設計されたイスに座って、
知性によって設計された机の上にある、
知性によって設計されたコンピューターの画面の上に

表示された文字を読んでいるのです。さらに文字を見るためには、

知性によって設計された目を使って、
知性によって設計された脳に電気信号を送り、
認識するのです。

多くの設計の上で、あなたの今の行為が成り立っていることを垣間見たでしょうか。
設計のあるところには必ず設計者がいます。



設計者(神)がいると何がちがうの?