本日の講壇2018916.)

聖書箇所 詩篇16

説教題 『主が私の右におられる』

 

■序論:詩篇16篇は「神と共に生きる喜び」をうたっています。この喜びは一時的なものではなく、変わりゆく環境に左右されることのなく、神が共にいて下さるという喜びです。これは私たちの信仰者の人生の土台です。

 

■本論

 

1、私はいつも、主を前にしています(8節)(2017年版)

 「私はいつも私の前に主を置いた」(8)(第三版)私たちがいつも前に置いている物はなんでしょうか。物理的に今、目の前にあるものではなく、日常生活の中で、思考の癖や決断するときに優先するものです。打算的な考え方、自己中心的、排他的、、、。みことばは何を第一とすべきと言っているでしょうか(マタイ6:33)。

 

2、私の胸は喜びにあふれます(9節)

  この喜びは、感情的に嬉しい、楽しいというものとは少し違います。悲しみ、苦しみ、不安があったとしても、わき出てくることが可能な喜びです。神は良い人にも悪い人にも雨を降らせる御方です(マタイ5:45)。主を信じる者は、どのような状況にあっても、良いときも悪いときも変わらず、神が共にいて下さるという喜びと安らぎを得ることができます。

 

3、私の幸いは あなたのほかにはありません(2節)

  私たちの幸いはどこにあるのでしょうか。永遠に変わることない全知全能の主が私たちと共におられるということ、これ以上の幸いはありません。ジョン・ウエスレーは「最もすばらしいことは、神が私たちと共におられるということだ」と言いました。イスラエルの民と共におられた主は(出エジプト記13:21-22)、今も私たちと共にいて下さいます。

 

 

■結語 「主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。」(8節)私たちから、離れず導いて下さる主が共におられます。私たちは、「主を前に」して歩みましょう。