本日の講壇(2018.10.21.)
聖書箇所 使徒の働き3章1~10節
説教題 『イエス・キリストの名によって』
■序論: この箇所には、一人の生まれつき足の不自由だった人が癒やされたことが書かれています。「美しの門」と呼ばれる宮の門で、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするところでした。このいやしは、ペテロとヨハネの人間的な力ではなく、主イエス・キリストの名によるものでした。
■本論
1、いやされた人(1-2節)
この人は40年以上もの間、足を患っていました(4:22)。どれだけ歩きたいと願ってきたでしょうか。人がよく通る、人の目につきやすい場所に運んでもらっていました。通りがかったペテロとヨハネからも何かもらえると期待しましたが、金銭はもらえませんでした。しかし、求めていたお金よりももっと良いもの、足が癒やされ、自由に歩くことができる生活が与えられました。
2、ペテロとヨハネ(4-6節)
ペテロとヨハネがこの男性のことを見ました(3-5節)。ペテロとヨハネがその人に目を留めて「見つめて」から声をかけました(4節)。彼らは、素通りせず、イエス様と同じ様に、弱っている人に目を向けることによって、このいやしの奇跡は起こりました。いやされたのは、ペテロとヨハネの力ではありません。イエス・キリストの名によって癒やされました。
3、イエス・キリストの名(7-10節)
「イエス・キリストの名によって」とは、その力と権威によってという意味です。その名には、人のからだを完全にいやす力、たましいを救う力があります。40年以上、不自由だった足をいやされた人の喜びと驚きと感謝は、私たちの想像を超えるものだったでしょう。飛びはねたりしながら宮に入って行って「神を賛美」(9節)しました。
■結語 イエス・キリストの名によって、生まれつき足の不自由だった人はいやされました。ペテロとヨハネは主の器として用いられました。イエス・キリストは力と権威に満ちた御方であり、人を通してその計画を進められます。