聖書箇所 使徒の働き3110

3:1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。

3:2 すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。

3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。

3:4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。

3:5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。

3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、

3:7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、

3:8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。

3:9 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。

3:10 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。

本日の講壇20181021.)

聖書箇所 使徒の働き3110

説教題 『イエス・キリストの名によって』

 

■序論: この箇所には、一人の生まれつき足の不自由だった人が癒やされたことが書かれています。「美しの門」と呼ばれる宮の門で、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするところでした。このいやしは、ペテロとヨハネの人間的な力ではなく、主イエス・キリストの名によるものでした。

 

■本論

1、いやされた人(1-2節)

 この人は40年以上もの間、足を患っていました(4:22)。どれだけ歩きたいと願ってきたでしょうか。人がよく通る、人の目につきやすい場所に運んでもらっていました。通りがかったペテロとヨハネからも何かもらえると期待しましたが、金銭はもらえませんでした。しかし、求めていたお金よりももっと良いもの、足が癒やされ、自由に歩くことができる生活が与えられました。

 

2、ペテロとヨハネ(4-6)

 ペテロとヨハネがこの男性のことを見ました(3-5節)。ペテロとヨハネがその人に目を留めて「見つめて」から声をかけました(4節)。彼らは、素通りせず、イエス様と同じ様に、弱っている人に目を向けることによって、このいやしの奇跡は起こりました。いやされたのは、ペテロとヨハネの力ではありません。イエス・キリストの名によって癒やされました。

 

3、イエス・キリストの名(7-10節)

  「イエス・キリストの名によって」とは、その力と権威によってという意味です。その名には、人のからだを完全にいやす力、たましいを救う力があります。40年以上、不自由だった足をいやされた人の喜びと驚きと感謝は、私たちの想像を超えるものだったでしょう。飛びはねたりしながら宮に入って行って「神を賛美」(9節)しました。

 

■結語 イエス・キリストの名によって、生まれつき足の不自由だった人はいやされました。ペテロとヨハネは主の器として用いられました。イエス・キリストは力と権威に満ちた御方であり、人を通してその計画を進められます。