本日の講壇(2018.10.7.)
聖書箇所 ヨハネの福音書4章1~26節
説教題 『主が与える生ける水』
■序論:ヨハネの4章は、イエス様との出会いを通して一人のサマリヤ人の女性の人生が大きく変わったことが書かれています。イエス様は井戸の水を汲む話から、生ける水、女性の家庭、礼拝、そして御自身がメシアであることを明らかにされました。 これらの会話を通してイエス様がどういう御方であると分かるでしょうか。
■本論
1、井戸での会話1-8節
旅の途中でサマリヤを通ったイエス様は、一人の女性と話されました。「およそ第6の時」(6節)とありますが、これはお昼の12時です。あまり人が来ないであろう日の高い時間にわざわざ水を汲みにきた女性にイエス様は話しかけられました。女性はイエス様が話しかけられたことに驚きました。イエス様は、人の定める価値観で人を見ず、すべての人に同じ様に語りかける御方です。
2、永遠のいのちへの水 9-15節
「水を飲ませてください」(7節)と言われたイエス様は、渇くことのない水について話されました。女性は、生ける水のことを理解できませんでした。人の体の渇きを満たす水、そしてたましい渇きを満たす生ける水があることを女性に教えられました。わたしたちは渇きを覚えます。のど渇きを満たすのは水分です、たましいの渇きを満たすのは、神のことばです。それは永遠のいのちへの水です(14節)。
3、キリストと呼ばれるメシア 16-26節
ついにイエス様はついに女性の一番触れられたくないことを言われました。女性の生活している状態、家庭についてです。その話を続けたくなかった女性は、イエス様を預言者だと思う(19節)と言い、メシア(救い主)についても言及しました。そこでようやくイエス様は御自身が誰であるかを示されました。イエス様はこの女性にとって、一番わかりやすいタイミングで、一番理解しやすい形で御自身がメシアであると示されました。
■結語 イエス様はこの女性のことを知っていて、御自身から近づき、話かけられ、教え、救いへと導かれました。まさに全ての人の主であり、誰に対しても分け隔てなく、そのたましいを救いへ導いて下さる御方です。