本日の講壇2018923.)

聖書箇所 ルカの福音書151124

説教題 『我に返った息子』

 

■序論:この箇所には放蕩息子のたとえが書かれています。ルカ15章に記されている3つのたとえには、共通していることがあります。それは①失われたものが見つかり、元の場所へ戻ってきたこと、②失われたものが見つかった時に大きな喜びがあることです。放蕩息子も父の元に戻り、父親は息子が帰ってきたことを喜び、盛大に祝いました

 

■本論

 

1、家を出る(11-16節)

  弟息子は、父親が生きている間に財産をもらいました。父親のものだったにもかかわらず、自分にその権利があるようにふるまいました。そしてすぐに家を出ました。財産を使い果たし、彼の生活は底をついてしまいます。お金、仕事、食べ物もなく、人が食べるものではなく、家畜のえさを食べたいと思うほど、生活は限界でした。

 

2、我に返る(17-19節)

  ついに弟息子は我に返りました。飢え死にしそうな自分、パンが余るほど満たされている父の家にいる雇い人、そして父のことを思い出しました。神に対して、父(人)に対して罪を犯していたことを悔い改めました。苦しみや悲しみを通して我に返ったとき、自分の姿を冷静に見つめ直すことができたのです。自分の置かれている現実、犯した罪を認めることは神に近づく大きな第一歩です。

 

3、父のもとへ帰る(20-24節)

  父の家に帰り着く前に、父は弟息子を迎えました。父は、弟息子の帰りをずっと待っていたのです。「子と呼ばれる資格はありません」と、悔い改めの告白をした息子を喜んで迎え入れ、着るものもごちそうも用意しました。弟息子が戻ってきたことは父親にとってこの上ない喜びでした。これは父なる神さまの姿を現わしています。

 

 

■結語 ルカ15章の3つのたとえの中で、羊、銀貨は、持ち主が一生懸命捜して見つけ出しましたが、放蕩息子は、自分の意思で父の元に帰って行きました。弟息子を父が喜んで迎え入れたように、父なる神様は、私たちが我に返り、神様の元に帰るのを待っておられ、喜んで迎えて下さる御方です。