本日の講壇2018729.)

聖書箇所 第2コリント人への手紙51419

説教題 『キリストの内にあるなら』

 

■序論:もしわたしたちがキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。再建、再生、再教育ではなく、全く新しい者とされている、新しい創造です(ガラテヤ614-15)。神から受けているこの素晴らしい恵みを、私たちはいつの間にか当たり前のように思っていないでしょうか。

 

■本論

1、イエス・キリストの愛

  気づいているかいないかにかかわらず、私たちはキリストの愛に捉えられ、取り囲まれています。私たちのため死なれたイエス様は、そのいのちをさえも惜しまず、わたしたちの身代わりとなってくださいました。これより大きな愛は誰ももっていません(ヨハネ1513)。このイエス・キリスト愛が私たちを取り囲み、キリストのために生きるように、駆り立てているのです。以前は、キリストを歴史上の人物として知っていただけだったとしても、個人的にキリストとであった一人一人は、唯一の「救い主」としてキリストを知ることができます。

  

2、父なる神のご計画

  神さまは私たちのために身代わりとなって、イエス・キリスト十字架にかけられることをご計画され、この世に遣わされました。そのことによって私たちは、①神との関係において和解が与えられ、②背きの罪、債務証書(コロサイ213-14)をなかったことにしていただき、③和解のことばを委ねられました。これは、父なる神さまが私たちのためにご計画されたことです。4つのたね

 

3、わたしたちの歩み

  本当は、神の前に背きの罪を問われるものでした。肉の力でしかキリストを知ることができませんでした。そして、本来は神の前に出ることもできない者でした。しかし、救い主キリストによって、私たちは罪の底から救われ、神との和解することができました。それだけでなく、和解のことばを委ねられています。私たちのために死んでよみがえってくださった方のために生きる使命も用意されています。神の前に罪人だった者が、新しい者とされ、遣わされた者と導かれているのです。

 

結論  

素晴らしい恵みは、何十年、何百年経っても変わることはありません。変わるものは私たちの心です。キリストの愛、神のご計画を通して私たちは愛されていること、託されていることをもう一度心に留めましょう。

聖書 第2コリント人への手紙5章14~19節

5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。

5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

5:16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。

5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。