本日の講壇(2018.5.27)
聖書箇所 ローマ人への手紙5章1~11節
説教題 『信仰がもたらす祝福』
■序論
私たちがイエス・キリストによって義と認められ、信仰によって与えられる祝福は数多くあります。今日の箇所にはそのことが書かれています。私たちが、神の方に心を向ける前から、神は私たちのことをご存知で、常に私たちを導いてくださっています。
■本論
1、義認、平和、喜び、(1-2節)
信仰によって私たちは、義と認められました。本来の私たちの姿は、傲慢でずるく、罪人であり、神の前に出ることのできないような者だったにもかかわらず、義認されたのです。罪を告白して、イエス・キリストが私たちの代わりに死なれて、よみがえられたことを信じる者は、義と認められるます。神との平和があり、喜びがあります。これが、「今私たちのたっている恵み」(2節)です。
2、苦難、忍耐、練られた品性、希望(3-5節)
3節から5節には、一見、恵みや祝福とは思いがたいことばが書かれています。苦難や忍耐です。わたしたちは、苦難や忍耐そのものではなく、そこから生み出されるものに目を向けなければなりません。最も苦しいときにこそ、神が私たちと共にいてくださることを実感するときであり、私たちからも主に近づくときでもあります。そして、クリスチャンとしての練られた品性が私たちの内側に備えられるときです。
3、愛、救い、和解(6-11節)
私たちがまだ弱かったとき…死んでくださいました(6)、私たちがまだ罪人であったとき…死なれたことによって(8)、敵であった私たちが…和解させていただいた(10)、とあるように、弱い、罪人、敵であった私たちには、分不相応な神さまの愛が明らかにされました。神の怒りから救われ、神と和解する道を用意してくださっていました。神の恵みは私たちが主に目を向ける前から前もって、先行して用意されていたのです。神の恵みは、いつも私たちよりも先回りして備えられています。
■結論 私たちに備えられている神の祝福は豊かにあります。それは、私たちが主に出会う前から備えられており、現在の生活の中でも知ることができ、未来に希望を与えます。神からの祝福が約束されていることを心に留めつつ、信仰の歩みを進めましょう。