聖書箇所 詩篇91章1~6節

91:1 いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。

91:2 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。

91:3 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。

91:4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。

91:5 あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

91:6 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。

本日の講壇2018513

聖書箇所 詩篇9116

説教題 『私の避け所、私のとりで』

■序論

 詩篇91篇は、神さまが私たちを守られるという約束が記されています。神が人を守られる、助け出される、救い出して下さることは揺るぎない事実であり、変わらない約束です。この詩篇の筆者ダビデと同じ様に、私たちの内にも、避け所、とりで、となって下さる方への信頼と確信がありでしょうか。

 

■本論

1、わたしたちのいるべき場所(1節)

1節は、私たちの居場所について、重複して書かれています。「いと高き方の隠れ家」、「全能者の陰」、この2つは同じ場所を現わしています。神のそば近くであり、神の声を聞ける、神との交わりのあるところです。

 

2、私たちの信頼(2-3節)

 2節は、神への信仰(信頼)の告白です。この方以外に、避け所やとりでがないこと、主への純粋な信頼の告白です。主は、御自身が全能者であることをアブラハムに(創世記17:1)、モーセに(出エジプト記6:3)に現わしておられます。この御方が私たちの避け所です。

 

3、わたしたちのいるべき場所(4節)

 3節には、1節と同じ様に私たちのいるべき場所が書かれています。①「羽で、、おおわれる」②「翼の下」です。①は「主は、、おおわれる」と主が主体となって記されている約束、②は「身を避ける」と私たち主体とした神への信頼と従いです。

 

4.主の守り(5-6節)

 主は、いつでもどのような状況でも私たちを守られる、と約束しています。夜の恐怖、昼に飛び来る矢、暗闇に歩き回る疫病、真昼に荒らす滅びも恐れることはありません。夜、昼、暗闇、真昼、いつでも共にいて下さる御方です。

 

5.主の真実さ

 避け所、とりでとしての神の約束が詩篇91篇全体に書かれています。救い出さす、助け出す、答える、守られる、、と続きます。主は真実な御方です(2テモテ2:13)。私たちが真実でなくても常に真実であり、私たちに折りにかなった助けを与え、守って下さいます。

 

■結論 私たちにも同じ様な主の守りに対する信頼と確信が備えられているでしょか。全能者の陰、主の翼の下にいる幸いを確信しましょう。私たちの日々の生活の中で、真実な御方はその真実さを豊かに示してくださる御方でです。