本日の講壇2018218

聖書箇所 マタイの福音書132430節 3643

説教題 『太陽のように輝く人』

■序論

天の御国は「畑に蒔かれた良い種」のような人にたとえられる。このたとえは良い麦が収穫されるためにある。私達はどのように収穫の時に備えるのか。

 

■本論

1、畑に蒔かれた種(2425節、3738節)

畑に良い種を蒔いたのはイエス様、畑はこの世界のこと、良い種は御国のこどもたちのことである。すなわちイエス様はこの世界の光としてクリスチャンを派遣しておられる。一方で、敵は畑に毒麦を蒔いた。敵は悪魔、毒麦は悪い子どもたちのことである。悪魔はこの世界に派遣されているクリスチャンの間に毒麦を蒔いて良い麦の成長を阻もうとしている。しかし、クリスチャンはそれに毒されない聖さと正しさを主からいただいている。だから、私達は良い麦として、この世界で神の国を広げるために遣わされている使命を覚えよう。

 

2、成長する麦(2629節)

畑では良い麦が成長するとともに毒麦も成長する。毒麦は穂が出てくると、麦の穂よりひげが長く、色も黒いため、見て区別することができる。しもべたちは、畑の毒麦を抜き集めようとしたが、主人は収穫まで待つように命じた。畑には良い麦と毒麦がしばらくの期間、共存することになる。しかし、そういう中でも毒麦に蒔けずに成長する麦の姿は、この世界の様々な困難や迫害に耐えながらも世の光として神の国の栄光を広げるクリスチャンの姿である。今は毒麦を引き抜く時ではなく、良い麦が成長する時であることを覚えよう。

 

3、収穫される麦(303943節)

収穫の時期になると畑では、刈り手によってすべての麦が刈られる。まず毒麦が集められ束にして火が焼かれる。そして、良い麦は主人の倉に納められる。これはイエス様の再臨の時に、正しい者と不法を行う者とが区別され、それぞれその報いを受けることを現わしている。主が収穫の日に選別と審判を下す時まで、地上にいる私達は誰かを裁いたりしてはならない。主がすべてを明らかにして下さる時まで、謹んで、自分に委ねられている使命に励もう。クリスチャンは天の御国で太陽のように輝くことができるのを待ち望もう。

 

■結論

良い麦であるクリスチャンはみことばと聖霊によって日々養われ、成長する。収穫の日に備え、この世界で世の光として輝き、成長し、神の国を現わそう。

聖書箇所 マタイの福音書132430節 3643

13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。
「天の御国は、こういう人にたとえることができます。
ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。

13:25 ところが、人々の眠っている間に、
彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。

13:26 麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。

13:27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。
『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。
どうして毒麦が出たのでしょう。』

13:28 主人は言った。『敵のやったことです。』
すると、しもべたちは言った。
『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』

13:29 だが、主人は言った。
『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、
麦もいっしょに抜き取るかもしれない。

13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。
収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、
まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。
麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」