聖書箇所 マタイの福音書13章1~9節
13:1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
13:2 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
13:3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
13:4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
13:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
13:6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
13:9 耳のある者は聞きなさい。」
本日の講壇(2018.2.4礼拝)
説教題 「天から蒔かれる種」
■序論
マタイ13章でイエス様は天の御国を七つのものにたとえられた。天の御国は種まきにたとえられている。天から蒔かれたみことばの種をどう受け取るのか。
■本論
1.種まきのたとえは土壌のことである(1~3節)
イエス様は群衆に話す際に分かり易いたとえを用いられた。「聞く耳のある者は聞きなさい」(9節)は求めている人はよく分かり、聞こうとしない人はより分からなくなるためである。農夫の種まきの話は種そのものに問題があるわけではなく、種が落ちた土壌の問題である。土壌はみことばを聞く者の心である。イエス様はみことばを通して、神の国の原理、原則、価値観を教えられた。イエス様を信じて弟子として生きていく人は、そのみことばに基づいて養われ、育まれていく。みことばを受け止めて根を張る砕かれた心を持とう。
2.土壌には対策の余地がある(4~7節、19~22節)
みことばは聞く人の求道心によって、受け止め方も捉え方もまるで違ってくる。このたとえでは、種が落ちた4か所について紹介されているが、結果としては、実が結ばれるか結ばれないかの2種類である。実を結ばない例として、①道ばた(4、19節)、②岩地(5、6、20、21節)、③いばら(7、22節)の特徴が挙げられている。①規則正しくみことばを聞く、②みことばを中心に物事を捉える、③みことばを分かち合い共に祈る友を持つことによって、それぞれ対策の余地はあるだろう。みことば通りに生きるために聖霊の助けをいただこう。
3.実を結ぶ良い地になろう(8、23節)
種が良い地に落ちるのは、偶然ではなく日頃からの備えが大切である。すばらしい料理が備えられていても、体調が悪ければそれを味わえないように、受け取る側の状態によって結果は大きく変わってくる。みことばの種が蒔かれると、それを実行できるように祈ることが大切である。できない理由を探すことは簡単かもしれないが、みことばを信じて実行するならば必ず実が結ばれる。みことばを本気で信じて、実行した結果、自他ともにみことばがその通りであることが証され、神の栄光が現わされる。実を結ぶ良い地となろう。
■結論
ヤコブ1:21~23 みことばを聞き、信じ、実行する人生は幸いである。天から蒔かれたみことばが実を結び、この地に神の国の栄光が現れるように祈ろう。