本日の講壇 聖書箇所 Ⅱペテロ3章8~14節 説教題 『主の御前で』 この聖書箇所は、再臨を待ち望む者たちの信仰のあり方を問いかけるものであ る。と同時に、主の日(10節)、神の日(12節)、永遠の日(18節)ともいわ れる、再臨の日に備えるクリスチャンへの希望と励ましが込められている。 ■本論 1.神のとき(9節) 「ある人たちが遅いとおもっているように」(9節)と私たちの心を見透かしたようなことが書かれてある。しかし、主は「再臨の日」を遅らせておられるのではない。忍耐深く、一人でも滅びず、悔い改めに進むことを望んでおられる。主の日は、主のご計画によって定められた日であり、早すぎることも遅すぎることもない。 2.私たちの役目(11節) 主の日に備えて、私たちは「聖い生き方をする敬虔な人」であることが勧められている。また、「その日の来るのを早めなければなりません。」(12節)とある。すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる主は、既に悔い改めて信じた者に、福音を伝えることを託しておられる(マタイ24:14)。すべての人に福音が証されるために、現代、日本で生きる私たちにも、今置かれている場所で、福音を伝えていく役目が与えられている。 3.待望の日(14節) イエス様に顔と顔とを合わせてお会いする日は、私たちにとって待望の日である。平安をもって御前にでられるよう励むために、具体的にいくつかのことが14節以降に書かれてある。これは、主から私たちへの警告かつ励ましでもある。 ■結論 私たちは皆、主の御前に立つ日が必ず来る。主の日を待ち望み、懸命に与えられた役割を果たし、喜びの日として迎えたい。そのためには、その日だけではなく、常に、それが今日であったとしても私たちは主の御前に立つことができるように歩むことを、主は望んでおられる。 |