11:45 そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。

11:46 しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた。

11:47 そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行なっているというのに。

11:48 もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」

11:49 しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。

11:50 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」

11:51 ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、

11:52 また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。

11:53 そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。

11:54 そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをしないで、そこから荒野に近い地方に去り、エフライムという町にはいり、弟子たちとともにそこに滞在された。

11:55 さて、ユダヤ人の過越の祭りが間近であった。多くの人々が、身を清めるために、過越の祭りの前にいなかからエルサレムに上って来た。

11:56 彼らはイエスを捜し、宮の中に立って、互いに言った。「あなたがたはどう思いますか。あの方は祭りに来られることはないでしょうか。」

11:57 さて、祭司長、パリサイ人たちはイエスを捕えるために、イエスがどこにいるかを知っている者は届け出なければならないという命令を出していた。

本日の講壇20171126

 

聖書箇所 ヨハネの福音書114557

説教題 『キリストが全人類のために』

■序論

ヨハネの福音書では1章からキリストが世に来られる目的を明確に記している。待降節を迎えるにあたり、キリストが世に来られた目的を受け止めよう。

 

1、「われわれは何をしているのか」(4548節)

ラザロが生き返ったのを見た者達はパリサイ人達に報告した。そして、祭司長はユダヤ人議会を召集した。ユダヤ社会は政治と宗教の自由を与えられているが、もしキリストを信じる者達が暴動を起こし、治安を乱せば、たちまちローマ帝国がユダヤ人の領土を奪い、武力で民を鎮圧することになる。祭司長、パリサイ人らは自分達の既得権を失うことを何よりも恐れた。利己的な考えはいろんなものを見えなくさせる。しかし、自分で何をしているのか分からない罪人のためにキリストは十字架にかかられたことを覚えよう(ルカ2334

 

2、「あなたがたにとって得策」(4953節)

大祭司カヤパは議長を務めていた。「ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも…」(50節)彼の発言の意図はキリストを殺害することを暗示している。しかし、彼の思いとは裏腹に深い真理が隠されている。つまり、キリストの十字架のことを預言している(52節)。彼らは自己保身のために得策を探していたが、全人類の救いのための得策はキリストの十字架以外にはないからである(ヨハネ316。罪の赦しと永遠の生命は神が全人類に備えられた最高の得策であると信じよう。

 

3、「あなたがたはどう思いますか」(5457節)

キリストは荒野に近い地方へと去り、時がくるまで弟子達と各地を巡回していた。過ぎ越しの祭りが近づき、エルサレム近郊は人々の行き来が激しくなる時期である。そのような時に、ユダヤ人議会はキリストを捕えるために、見つけた者は届け出るようにとの命令を出した。それほどの包囲網が敷かれている中で、ユダヤ人たちはキリストが過ぎ越しの祭りに来るか予測がつかなった(56節)。しかし、キリストは十字架にかかるために来られた。全人類のために十字架の道を進んで下さったキリストに心から感謝しよう(Ⅰテモテ115)。

 

■結論

キリストの十字架は他でもない私に注がれた神の愛である。自分の罪深さを知るほどに神の愛の深さを知る。今年のクリスマスも十字架の愛を伝えよう。