本日の講壇20171029

 

聖書箇所 ヨハネの手紙第一2章18~29節

  説教題 『最後までキリストのうちにとどまる者』

■序論

クリスチャンとは、死にいたるまで忠実に神を信じ、イエス・キリストに従い続けて初めてクリスチャンであると言えるものである。私達は、最期までキリストのうちにとどまり続けられるかどうかが問われる者である。

 

1、偽りへの警告(18~23節)

私達がキリストのうちにとどまり続けることを妨げるのは、“偽り”である。ヨハネは御子イエス・キリストと父なる神を否認する者を偽り者とした。神と神の子の否認は、人間の側の自己中心から出てくる。自分の都合の良い神を求め、そうではないと否定するのは、結局は神を知らず、神との交わり歩んでいないからである。私達は聖霊の助けによって、御言葉による神の知識を深めて、真理と偽りを区別できるクリスチャンとなろう。自分の都合のよい御言葉だけを聞くのではなく、ありのままに、自分にとって不都合なことを示されても、神の真実を信頼し、神の子イエス・キリストを信じてとどまり続ける者となろう。                     (Ⅱテモテ4:2~4)

 

2、キリストのうちにとどまりつづける(3~15節)

私達が偽りや反キリストに惑わされずに、キリストのうちにとどまるためにはどのような歩みを導かれているだろうか。一つは、初めから聞いた福音を堅く保つことである。(24節)私達の中で福音に関する神からの基本のメッセージに自分の考えや世の価値観を混ぜてはならない。二つ目は、聖霊を内にいただくことである。(27節)聖霊が私達の内に働くことで、真の神の知識を理解することができる。三つ目は、キリストの再臨に備えて日々を生きることである。(28節)キリストが来られたときに恥じることなく御前に立つことが出来るのは、今をどう生きるかにかかっている。四つ目は、神が正しい方であると知ることである。神の義を行うことは、神のみこころを行うのと同じである。神のみこころを行うことで、私達は偽りを行うことから守られる。私達はキリストのうちにとどまりつづけるために、神を仰いで歩んで行こう。

 

■結論

(ヨハネ黙示録2:10、Ⅰヨハネ2:6)私達は最後までキリストに忠実な歩みをして主から命の冠をいただく者となろう。キリストのうちにとどまり続ける者として、今をどう生きるのかを自身の内に問い直していこう。

 

聖書 ヨハネの手紙第一2章18~29節
2:18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。

2:19 彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。

2:20 あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。

2:21 このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。

2:22 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。

2:23 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。

2:24 あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。

2:25 それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。

2:26 私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。

2:27 あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

2:28 そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。

2:29 もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。