聖書箇所 ヨハネの手紙第一2章18~29節 説教題 『最後までキリストのうちにとどまる者』 ■序論 クリスチャンとは、死にいたるまで忠実に神を信じ、イエス・キリストに従い続けて初めてクリスチャンであると言えるものである。私達は、最期までキリストのうちにとどまり続けられるかどうかが問われる者である。 1、偽りへの警告(18~23節) 私達がキリストのうちにとどまり続けることを妨げるのは、“偽り”である。ヨハネは御子イエス・キリストと父なる神を否認する者を偽り者とした。神と神の子の否認は、人間の側の自己中心から出てくる。自分の都合の良い神を求め、そうではないと否定するのは、結局は神を知らず、神との交わり歩んでいないからである。私達は聖霊の助けによって、御言葉による神の知識を深めて、真理と偽りを区別できるクリスチャンとなろう。自分の都合のよい御言葉だけを聞くのではなく、ありのままに、自分にとって不都合なことを示されても、神の真実を信頼し、神の子イエス・キリストを信じてとどまり続ける者となろう。 (Ⅱテモテ4:2~4) 2、キリストのうちにとどまりつづける(3~15節) 私達が偽りや反キリストに惑わされずに、キリストのうちにとどまるためにはどのような歩みを導かれているだろうか。一つは、初めから聞いた福音を堅く保つことである。(24節)私達の中で福音に関する神からの基本のメッセージに自分の考えや世の価値観を混ぜてはならない。二つ目は、聖霊を内にいただくことである。(27節)聖霊が私達の内に働くことで、真の神の知識を理解することができる。三つ目は、キリストの再臨に備えて日々を生きることである。(28節)キリストが来られたときに恥じることなく御前に立つことが出来るのは、今をどう生きるかにかかっている。四つ目は、神が正しい方であると知ることである。神の義を行うことは、神のみこころを行うのと同じである。神のみこころを行うことで、私達は偽りを行うことから守られる。私達はキリストのうちにとどまりつづけるために、神を仰いで歩んで行こう。 ■結論 (ヨハネ黙示録2:10、Ⅰヨハネ2:6)私達は最後までキリストに忠実な歩みをして主から命の冠をいただく者となろう。キリストのうちにとどまり続ける者として、今をどう生きるのかを自身の内に問い直していこう。 |