聖書 ハバクク書2120
2:1 私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。

2:2 主は私に答えて言われた。幻を書きしるせ。これを読む者が急使として走るために、板の上にはっきり書きしるせ。

2:3 この幻は、なお、定めの時のためである。それは終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。

2:4 見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。

2:5 実にぶどう酒は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない。彼はよみのようにのどを広げ、死のように、足ることを知らない。彼はすべての国々を自分のもとに集め、すべての国々の民を自分のもとにかき集める。

2:6 これらはみな、彼についてあざけりの声をあげ、彼を皮肉り、風刺してこう言わないだろうか。「ああ。自分のものでないものを増し加える者。――いつまでだろうか。――質物でおのれを肥やす者。」

2:7 あなたをかむ者が突然起き上がり、あなたを揺り動かす者が目ざめないだろうか。あなたは彼らに奪い取られる。

2:8 あなたが多くの国々を略奪したので、ほかのすべての国々の民が、あなたを略奪する。あなたが人の血を流し、国や町や、そのすべての住民に暴力をふるったためだ。

2:9 ああ。自分の家のために不正な利得をむさぼり、わざわいの手からのがれるために、自分の巣を高い所に据える者。

2:10 あなたは自分の家のために恥ずべきことを計り、多くの国々の民を滅ぼした。あなたのたましいは罪を犯した。

本日の講壇20171015

 

聖書箇所 ハバクク書2120

  説教題 『義人は信仰によって生きる』

■序論

神の民は苦難の時こそ一致して共に乗り越えていくものである。ハバククの置かれた時代と状況を通して、義人は信仰によって生きると確信しよう。

 

1、見張り所に立つ(1節)

ハバククは主が何を語られるのか、見張り所に立って待ち望んでいた。彼は預言者として民の声を神に届け、神のみことばを民に伝えた。彼は南ユダ王国において見張り人として召されていた。民全体を見渡し、罪を犯しているならば戒め、悔い改めるならば執り成し、神のみことばを伝える見張り人の存在は欠かせない。新約時代、全てのキリスト者は地の塩、世の光としてこの世界に遣わされている。見張り人は持ち場と立場を放棄できない。私達は全ての民に神のみことばを伝え、執り成す見張り人としての使命を果たそう。

 

2、定めの時を待つ(2-5節)

神のみことばを待ち望むハバククに神は答えられた220節)。彼は神からの啓示を石の板に書き写してから民に伝えた。「定めの時」「終わり」「必ず来る」は神の裁きの宣告である。神の裁きは必ず来るが、それが起こるまで、民が悔い改めるために猶予期間が与えられる。また、民が完全に滅んでしまうためではなく、一時的な懲らしめである。結果的にバビロン捕囚という形でこのことは実現した。しかし、神を恐れる正しい人は、信仰によって生きられる。神は裁きだけでなく、救いと回復をも備えておられることを信じよう。

 

3、災いに備える(620節)

悪者に対する五つの災いの風刺が描かれている(619節)。神は予めこれら

のことが起きると伝えられた。イスラエルの民は事が起きるまでは楽観的で

あった。神への嘲りと甘えの態度は表裏一体となっている。もはや裁きの日

には、頼りにしていたものが何も役に立たないことが証明される。大切なの

は、神のみことばに耳を傾け、災いに備え、神に立ち返ることである。ハバ

ククの時代にも、「主はその聖なる宮におられる」(19節)と確かな約束があ

る。だから、どんな暗い時代にも、主の前に静まり、主の約束を待ち望もう。

 

■結論

義人は信仰によって生きる。義人とはキリストによって贖われた神の民である。神の民が一致し、神の約束を待ち望み、見張り人として使命を果たそう。